星暁雄のブロックチェーン界隈ざっくり見て歩き

第7回

永続化するピクセル〜ブロックチェーン上のアート作品「閉鎖国家ピユピル」に心動かされた人々

写真1:作者の高崎悠介さん(写真右、コード担当)とヘルミッペさん(写真左、アート担当)。
写真2:個展のクロージングトークショーに臨む高崎悠介さん。トークショーでは、アート作品の履歴管理をパブリックブロックチェーン上に記録する取り組みを続けるStarbahn社や、NEMロゴをモチーフとするアクセサリーの商品化(初期段階では「無料配付+NEMによる投げ銭」モデルだった)を手がける「ねむぐま」さんが登壇した。

 あなたは「閉鎖国家ピユピル」を見ただろうか?

 「閉鎖国家ピユピル」は、高崎悠介さん(コード)、ヘルミッペさん(アート)の2人組によるアート作品である。その内容はピクセルアート──つまり、あえて低解像度の「ドット絵」で表現したアートとブロックチェーンを組み合わせた作品である。「ブロックチェーンアート」という新ジャンルの初期作品であると言ってもいいだろう。

 「閉鎖国家ピユピル」は、2019年1月31日から2月17日までギャラリー「阿佐谷VOID」で展示した。この場でアート作品「閉鎖国家ピユピル」を「ピユピルトークン」と呼ぶハードウェアの形態で販売した。9個用意した「ピユピルトークン」は展示会の会期終了を待たずに完売した。

 展示会を見に来た人々の興味は様々だった。アートに関わっている人ももちろん見に来た。「閉鎖国家ピユピル」は暗号通貨NEMのブロックチェーンを活用していることから、NEMのコミュニティの人々も展示会を見に来た。NEMロゴをあしらったアクセサリー製作などの活動を行っている「ねむぐま」さんが書いた紹介記事は多くの反響を呼んだ。

 この「閉鎖国家ピユピル」の展示を見て、高崎さん、ヘルミッペさんの話を聞いてきた。「閉鎖国家ピユピル」を語る言葉は人それぞれで、正解というものはないだろう。私は自分が見たものを記すことにする。ただし、ここで述べた見方の他にも、鑑賞者それぞれの「ピユピル」があるはずである。

「閉鎖国家ピユピル」を鑑賞する

 まず「閉鎖国家ピユピル」を鑑賞してみよう。パーソナルコンピュータ上ではプログラムが走っている(写真3)。QRコードを印刷したカードを、コンピュータのカメラの前にかざすと、ブロックチェーンへのアクセスが始まる。QRコードに記されているのはブロックチェーンアドレスだ。このブロックチェーンアドレスに基づき、NEMのブロックチェーン上に「モザイク」(独自トークンを作るためのNEMの仕様)の形式で保管されたピクセルアートのデータを取得する。データを復元すれば、ピクセルアートとなる(写真4)。別のブロックチェーンアドレスからは、別のピクセルアートを見ることができる(写真5)。

写真3
写真4
写真5

 ピクセルアートは情報量が少ないのに、性格と意思を備えた人のような存在が背後にいる感覚が伝わってくる。その存在はどこかで見たような懐かしさと、誰も見たことがない新しさの両方を感じる。昔懐かしいゲームキャラクターのように。

 どうやら、これらのピクセルアートは「ピユピルの民」を表現するもので、それぞれに設定や物語が伴うらしい(写真6)。

写真6:小冊子スタイルの発行物「ZINE」も展示した。「閉鎖国家ピユピル」の物語が記されている……かもしれない。

 「閉鎖国家ピユピル」のピクセルアートは、アート作品として値札が付けられており、購入できる。具体的には、ピクセルアートとブロックチェーン上の秘密鍵のデータを格納したデバイス「ピユピルトークン」を作品として販売する(写真7)。デバイス上には制御用のマイクロコントローラ(1チップのコンピュータ)のAVRがあり、ここにメディアアートや電子工作でよく使われる制御用ボードコンピュータArduinoと共通のソフトウェア環境を載せている。

写真7

 ブロックチェーン上では、秘密鍵の持ち主だけが価値を移転できる。この原則を応用し、アートの所有者だけがその所有権を移転できる。ここで大事な点は、ピクセルアートのデータそのものがブロックチェーン上に記録されていることだ。「著作物の所有権をブロックチェーン上で管理する」といった取り組みはいくつかあるが、従来は著作物の台帳管理にブロックチェーンを使っているだけで、著作物そのものはブロックチェーンとは別に存在している。ゲームに登場するキャラクターをブロックチェーン上に記録する取り組みもあったが、この場合もキャラクターの画像データそのものはブロックチェーンの外側に記録されている。

 ところが「閉鎖国家ピユピル」は違う。ブロックチェーン上に、秘密鍵の持ち主だけが所有権を移転できる形でアート作品そのものが存在しているのだ。いわば「オンチェーンのアート作品」なのだ。

 そして、もう一つの興味深い仕掛けがある。「閉鎖国家ピユピル」では、購入したアート作品内で表現されている「ピユピルの民」の所有権を、ある「国」に移転するという選択肢が提示されている。この国に所有権が移転されたピクセルアートは、もはや誰のものでもないが、その「国」にいけば誰でも見ることができる……ひょっとすると、アート作品の表題である「閉鎖国家ピユピル」とは、ブロックチェーン上に存在するこの「国」のことなのかもしれない。

 高崎さんは、これらの「ピユピルの民」に託す思いについて、「現実の暮らしではできない自由な暮らしを、閉鎖国家ピユピルで自分の代わりにしてもらうと空想を楽しむこともできる」と表現する。

「ピクセルアート」の表現手段としてブロックチェーンに注目

 アート担当のヘルミッペさんは、ここ7年ほど「ピクセルアート」の表現を模索してきた。それ以前はペン画による細密画を手がけていたが、仕事の合間を縫って作品を制作していく上ではピクセルアートがちょうど良かったそうだ。

 「閉鎖国家ピユピル」の展示では、前述したブロックチェーンアートだけでなく、さまざまな表現手法によるピクセルアートが展示されていた。ヘルミッペさんの過去数年にわたる模索の結果だ。例えば、クロスステッチ(刺繍の一種)を使った表現(写真8)がある。メッシュ状の生地とクロスステッチの組みあわせは「影絵」のように使うこともできる(写真9)。あるいは、福を呼ぶと伝えられるコウモリ柄の手ぬぐい(写真10)。リソグラフを用いた表現(写真11、写真12)。リソグラフは孔版印刷の仕組みに基づく簡易型印刷機だが、それをアート作品に応用して版画のような味わいの作品を作るムーブメントが世界的に広がっている(参考記事)。リソグラフ作品の質感は私も気に入った。デジタルな感触と、手触り感の両方が感じられる不思議なアートだ。

写真8
写真9
写真10
写真11
写真12

 このような様々な表現手法を試みる中から、ブロックチェーンにピクセルアートを記録した「閉鎖国家ピユピル」が生まれてきた。

 アート作品の中でブロックチェーンをどのように活用しているのかといえば、ピクセルアートの永続化と所有権の移転のためだ。前述した「秘密鍵を保管するデバイス」を作品として購入すれば「その作品の所有権が自分にあり、他人にはない」ことをブロックチェーンが証明してくれる。NEMのブロックチェーンが存在しつづける限り、ピクセルアートの記録も残る。誰にも消し去ることはできない。

 コード担当の高崎さんは、人とピクセルアートを結びつけるものとして、「秘密鍵を保管したハードウェア」という存在を作り出した。ここでヒントになったのは、暗号通貨の「所有している感覚の乏しさ」だ。暗号通貨の実体はブロックチェーン上のデータだ。暗号通貨の所有権を示す秘密鍵も、その内容はデジタルの文字列だ。人々の身体性とリンクしていない。人間の中にある「モノを所有している感覚」とリンクさせるやり方として、このようなハードウェアを介在させるアイデアを考えたのだ。

 それに、ブロックチェーン上のピクセルアートの所有権だけが可能な行為である「所有権を『国』に送る」行為は、暗号通貨をBurnする(棄却して発行枚数を減らす)行為に相当するとも考えることができる。「アートの購入者が、アートを別の『国』に送るかどうか躊躇するかもしれない。それは、所有権とは何かを考える題材にもなる」と高崎さんは言う。

 ブロックチェーン上のデータであるピクセルアートに値段を付けて購入し、それをBurnする(棄却する)ことに抵抗を感じる人は、ブロックチェーン上のデータを貴重なもの、特別なものと感じ取っている。一連の行為や感情の動きが、デジタルな世界と現実世界のリンクを作っていると考えることもできるだろうし、あるいはデジタルな世界というものに対する批評性を持っていると考えることもできるだろう。

NEMのブロックチェーン×アートの模索を続ける

 技術面についても見てみよう。技術用語で説明するなら、「閉鎖国家ピユピル」では、1枚1枚のピクセルアートを、NEMのモザイクを応用したNFT(Non-Fungible Token、非代替トークン)として表現している。

 「閉鎖国家ピユピル」のピクセルアートは、128×64画素、2値で表現する。つまりデータ量としては非常に小さい。このデータをブロックチェーン上で永続化、所有権を移転可能とするために、NEMのモザイクを利用する。画像データの一部を格納した複数のモザイクと、複数のモザイクの所有権を表現する1個のモザイクから構成する。詳細は、例えばトレスト氏によるBlog記事を参照されたい。

 高崎さんは、今までにNEMを応用した作品をいくつか作ってきた。例えば「ブロックチェーン上に天国を作る」(2017年9月)は、鑑賞者(人)が2箇所を移動する現実世界の動きと、ブロックチェーン上のアカウント間のトークン移動を同期させる作品だ(紹介記事)。この作品は「WIRED CREATIVE HACK AWARD 2017」最終選考に残った。

 また「SNEMS」(2018年1月)は暗号通貨NEMで投稿するSNS(ソーシャルネットワークサービス)だ。NEMのトランザクションに添付できる「メッセージ」を使い、SNSへの投稿内容を記録する。独自のデータベースを持たないサーバレスSNSでもあり、投稿が決して消えず、改ざんできないSNSでもある。

 「ZAFU」(2018年11月)は「Coinhiveによるマイニングでのゲーム内報酬の付与」の仕組みである。Coinhiveは、Webサイトを閲覧した人のブラウザ上でマイニングをするプログラムで、2018年にはその設置者が複数、「不正指令電磁的記録に関する罪(いわゆるコンピュータ・ウイルスに関する罪)」の疑いで検挙あるいは家宅捜索された。記事執筆時点では裁判が進行中である(例えばこの記事)。このCoinhiveをポジティブな用途に使う事例もあり、例えば国連機関ユニセフはCoinhiveにより寄附を行うWebページを開設している。一方、ZAFUでは、ゲーム内での報酬のためCoinhiveを応用する。

 高崎さんが、過去に作ってきた作品や「閉鎖国家ピユピル」でNEMを採用した理由は「トライ&エラーがしやすかった」ことだ。例えばEthereumのERC-721などの仕様は、オンチェーンのコントラクト(ブロックチェーン上で管理、動き続けるプログラム)の形で実現する。オンチェーンのコントラクトはセキュリティ上の問題から厳重な検証を必要とするし、気軽にアップデートできない。小刻みな修正を繰り返しながらプログラムを開発したい場合、オンチェーンではなくオフチェーンのプログラムからブロックチェーンにアクセスするNEMのスタイルの方がやりやすい。これが高崎さんがNEMを選んだ理由だ。他の開発者からも、NEMに対しては「開発しやすい」との評価を聞く場合が多い。

 もちろん、オンチェーンのコントラクトとオフチェーンのプログラムは目的も性格も異なり、一概に比較はできない。その開発プロジェクトが何を重視するかによって選択するべきだろう。

「永続化するデータ」にこだわる

 ゲーム分野では、EthereumのERC-721仕様を用いたNFTをゲーム内アセット(キャラクターなど)に応用する動きがある。最初に有名になったゲームとしてCryptoKittiesがあり、日本の企業が作ったゲームではMy Crypto Heroesなどがある。ただし、これらのゲームではキャラクターのパラメータはブロックチェーン上に保管しているが、キャラクターを表現する画像データはブロックチェーン外部に置いている。終了したゲームのキャラクターを呼び出せるサービス「HL-Report」(参考記事)も同様の発想だ。

 高崎さんは、「画像データがブロックチェーンの外部にあるのでは、永続的とはいえない」と考えた。いつか消えてしまうかもしれない。

 データをブロックチェーン上で永続化することについて、高崎さんにはある思いがある。「最近、『Yahoo!ジオシティーズ』のサービス終了で多くのWebサイトが消えてしまった。ネットはインフラだと思っていたら、外部に保存したデータがなくなってしまう現象がおこる」と高崎さんは指摘する。高崎さんは、こうも言う。「音楽を、デジタルデータではなくアナログレコードで手元に置きたいと思う人もいる。デジタルやネットではないものを求めている。その意味では、ブロックチェーンは自然に近いもの。例えば全てのサーバーがなくなってブロックチェーンが消えてしまうなら、それは天変地異のようなもので仕方ないと思えるだろう」。

 ブロックチェーンを突き詰めて考えた人は、それが既存のデジタルなプロダクトやサービスとは質的に異なり、アナログで表現される自然物に近いもののように思えてくるのだ。

 高崎さんは、デジタルなアート作品をブロックチェーンに記録する取り組みは広げていきたいと考えている。「もし、興味があるアート作者の人がいたら連絡してほしい」と高崎さんは言う。

「閉鎖国家ピユピル」を別の角度から鑑賞する

 現代の批評は「作品は、読み手によりどのように読み解かれてもよい」との原則から出発するそうだ。作者たちの思いとはまた別の文脈から、私が「閉鎖国家ピユピル」を鑑賞して連想したアート作品の例を2件あげてみたい。

 一つ目は匿名のアーティスト、バンクシーの作品だ。バンクシーは多くのグラフィティ作品を発表している。「グラフィティ」は公共物への落書きアートを指す言葉で、ヒップホップカルチャーから登場した。「閉鎖国家ピユピル」は「ブロックチェーン上のグラフィティ(公共物への落書き)」と捉える見方も成り立つだろう。

 バンクシーは、最近では「オークションの現場で値段が付いた作品を、その場でシュレッダーにより破壊する」ことで完成した作品が話題になった。世界各地の紛争地に残されたグラフィティ作品「風船と少女」をモチーフにしたこの作品を、バンクシーは『愛はごみ箱の中に』と命名した。絵画の額縁に仕込んで遠隔操作できるシュレッダーというテクノロジーを使ったアートという見方もできるだろうし、「紛争地の公共物へのメッセージ性を持った落書き」という文脈や、オークション会場で作品を破壊するという批評性のように複数の要素を読み取ることを意図した作品ともいえるだろう。

 「閉鎖国家ピユピル」は、購入したアート作品を、架空の「国」に移転するという形で手放してしまうことができる。これは一つの見方では購入した作品の毀損ともいえるし、別の見方では移転されることにより、作品が完成したと見なすことができるかもしれない。

 もう一つ連想した作品は、やくしまるえつこ「わたしは人類」だ。2018年に開催された世界的なメディアアートの祭典アルス・エレクトロニカでグランプリを受賞した(参考記事)。「閉鎖国家ピユピル」の作者達はその説明に「メディアアート」という言葉を使っていないのだが、この作品をメディアアートの文脈から捉える見方もあっていいのではないだろうか。

 「わたしは人類」という楽曲のデータを、バクテリアのDNA(デオキシリボ核酸、遺伝情報を伝える物質)に組み込む。このようなDNA編集の技術は最近急速に普及していて、キッチンでDNA編集できるキットも販売されているそうだ。

 「わたしは人類」の歌詞で表現している「人類が滅びた後の世界」にも、楽曲データのDNAを持つバクテリアは繁殖し、生存し続けているかもしれない。つまり楽曲のデータが人類よりも長く残る可能性を提示し、DNAにデータを刻み込む行為そのものをアートとして提示した。私は、そこにブロックチェーン上でデータを永続化する「閉鎖国家ピユピル」と通底するものを感じ取った。

 今回の記事では「閉鎖国家ピユピル」を、複数の側面から取り上げて語ってきた。取材してみて抱いた感想だが、アートの自由さに改めて感銘を受けた。研究では新規性が問われるし、プロダクト開発では有用性やビジネスモデルが問われる。アートはこれらの制約から解き放たれていて、人々がどう受け止めるかも自由だ。「閉鎖国家ピユピル」は見る人の感情や思考を喚起する。そこでのブロックチェーンの使い方にピンとくる人とそうでない人が分かれるかもしれない。その点も含めて、私はブロックチェーンというものの本質的な性質が反映されていると見た。

星 暁雄

フリーランスITジャーナリスト。最近はブロックチェーン技術と暗号通貨/仮想通貨分野に物書きとして関心を持つ。書いてきた分野はUNIX、半導体、オブジェクト指向言語、Javaテクノロジー、エンタープライズシステム、Android、クラウドサービスなど。イノベーティブなテクノロジーの取材が好物。