星暁雄のブロックチェーン界隈見て歩き

第8回

Libraというクジラ──Big Tech×ブロックチェーンのグローバルステーブルコインに戸惑う金融当局

2019年の最大の話題といえば、Facebookが発表したデジタル通貨Libraの構想である。今回のコラムでは、2019年末というタイミングでLibraについて考えてみたい。

まず、次のようにイメージしてみてほしい。全長25mのプールがある。このプールに、全長15mのクジラが飛び込んできたら、大騒ぎになるだろう。しかもクジラは成長を続けている。プールの全長をはみ出すかもしれない……プールは金融コミュニティ、つまり各国の規制機関や中央銀行や民間銀行などが維持する「金融安定」で、クジラがLibraだ。

Libraは企業連合によるデジタル通貨、国際送金と金融包摂を掲げる

ここでLibraの内容を改めて振り返る。Libraはデジタル通貨であり、Libra協会と呼ぶ企業連合が運営し、Libraブロックチェーンと呼ぶ技術基盤を備えている。

FacebookがLibraの構想を発表したのは2019年6月18日。10月15日には21社から成るLibra協会を正式に立ち上げた。Libra協会は12月17日付けでプロジェクト進捗を公表、開発が進んでいることをアピールしている。

Libraの情報システムは、Libraブロックチェーンと、Facebookの子会社Calibraが運営する「Calibraウォレット」の「2階建て」だ。Libraブロックチェーンは、Libra全体の技術基盤であり許可型のブロックチェーンである。Libra協会のメンバーがノードを運営する。一方、CalibraウォレットはFacebook MessengerやWhatsAppのようなFacebookのサービスと一緒に使うことができ、スマートフォンで簡単に送金できる。スマートフォンによる送金サービスはすでにたくさんあるが、利用者にとってはそれらと似たアプリに見えるだろう。

Libra協会と呼ぶ企業連合が運営主体となる。デジタル通貨Libraは裏づけ資産の「リザーブ(準備資金)」を持つことで価格を安定させる。このリザーブは各国の通貨バスケットの形を取る。各通貨の比率は米ドル50%、ユーロ18%、日本円14%、英ポンド11%、シンガポールドル7%と伝えられている(独メディアDer Spiegelの報道による)。Facebook Messengerのメッセージが国境を越えて送受信できるように、Libraも国境を越えて送金できる。

Libraは目標として「金融包摂(Financial Inclusion)」を掲げる。新興国では銀行口座を持たない人々が大勢いる。テクノロジーの力で、そのような人々にも金融サービスにアクセスできるようにしよう──これがLibraの大義名分だ。スマートフォンとインターネット回線があれば、銀行口座が開けなくても送金などのサービスを利用可能という訳だ。

利用者から見たLibraのメリットの一つは国際送金の手数料と利便性が改善されることだ。現状で銀行に国際送金を依頼すると高額な手数料と数日の時間がかかり、しかも途中経過の確認もままならない。マネーロンダリング対策による本人確認のコスト増大を嫌って、国際送金の仲介業務を扱う銀行(コルレス銀行)の数は減少傾向にある。手数料が安く便利な国際送金サービスには社会的なニーズが存在する。例えば国際送金のスタートアップ企業TransferWiseはこのニーズを狙っている。Libraはこのような民間企業による国際送金の分野に殴り込みをかける大型の「クジラ」でもある。

各国の金融規制当局はLibraのようなコインを「グローバルステーブルコイン」と呼ぶ。各国が検討中の中央銀行デジタル通貨(CBDC)は、いわば紙の紙幣を置きかえるもので、利用法は従来の通貨と同じだ。一方、インターネット経由で国境をやすやすと越えて世界中のユーザーが利用するグローバルステーブルコインは、各国の金融当局にとって未知の存在で警戒すべき対象なのである。

「金融安定という共有財へのフリーライド」というパワーワード

Libra構想は、金融界にとって大きな衝撃だった。米国の議会、そして世界中の金融エスタブリッシュメントがすぐに反応したことから、そのことが分かる。

ここでは分かりやすい表現でLibraへの評価と懸念を伝えてくれる発言を紹介しておきたい。元日本銀行決済機構局長で、現在はフューチャー社取締役の山岡浩巳氏は、「Libraは、今までの仮想通貨や暗号資産とは異なり、(一般大衆によって)本当に使われる可能性がある通貨だ」と表現する(関連記事)。やはり日本銀行OBで、決済分野の専門家である麗澤大学経済学部教授の中島真志氏も、Libraについて「よく出来ている。だから当局が目くじらを立てている」と表現する(関連記事)。

実は、各国の金融規制コミュニティはFacebookのようなBig Tech(巨大IT企業)が金融ビジネスに参入する可能性を以前より検討していた(関連記事)。巨大IT企業は知名度が高い。Facebookで27億人の膨大なユーザーを抱えている。金融ビジネスにも応用できる多くのデータを収集している。資金調達の実力も高い。こういうFacebookのような企業が金融サービスに参入してくることは、以前から警戒されていた。ところが、想像していたよりずっと大きな第一波がやってきた。それがLibraである。

日本銀行の黒田東彦総裁は、2019年12月4日の金融情報システムセンター(FISC)講演会で、このような金融エスタブリッシュメントの意見を集約したといえる内容の講演を行った。一言でいうと、Libraは既存の金融システムに「ただ乗り」しようとしており、「金融安定という公共財」を食い潰し、「コモンズの悲劇」を招きかねないと断じた。

なぜここまで言われなければならないのか。それはFacebookの影響力が非常に大きく、巨額のマネーが集まる可能性があり、それを銀行ではない企業が扱うことが大きなリスクと見ているからだ。

例えるなら、世界中の中央銀行や民間銀行などが運営する金融システムを全長25mのプールとしよう。Libra構想は全長25mのプールに全長15mのクジラが飛び込んでくるようなものだ。27億人のユーザーを抱えるFacebookのLibra構想は、そのような懸念を持たれている訳である。

リーマンショックの再発を恐れる金融規制当局

リーマンショックと、連鎖して発生した世界金融危機は、各国の金融規制当局にとって苦い思い出となっている。サブプライムローン問題の背景にあったデリバティブ(金融派生商品)のCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)などが過大なリスクを背負っていたという反省がある。

リーマンショックでは、レバレッジがかかった金融商品の特性により、いわば25mのプールに50m以上のクジラが飛び込んだような大騒ぎになった。当事者たちは高度な数学的テクニックを駆使した金融工学でリスクを管理していると考えていたが、実は知らない間に過大なリスクを抱え込んでしまっていた。米国政府は7000億ドル(約76兆6000億円)の公的資金を投入。各国で同様の措置が相次いだ。批判も大きかった。

Bitcoinのジェネシス・ブロック(ブロックチェーンの最初のブロック)に"The Times 03/Jan/2009 Chancellor on brink of second bailout for bank"という文言が刻まれていることは有名だ。2009年1月3日の英タイムズ紙に掲載された「英財務大臣が銀行救済のため二度目の公的資金注入の瀬戸際にいる」という記事の見出しである。公的資金注入は、もちろんリーマンショックへの対応のためだ。Bitcoinを創造したサトシ・ナカモトがこの文言をジェネシス・ブロックに刻んだ背景は、政府のお金が金融機関救済に使われることに反対する考え方を持っていたからだと解釈する人もいる。Bitcoinを評価する人たちは、政府の方針に左右されないお金としてBitcoinを捉えている。

前述した日本銀行の黒田総裁のFISC講演では、リーマンショック前の時期に、各国の金融機関は「過度なリスクテイクに走った」と批判している。Libra構想が動き出すと、その二の舞になりかねないという訳だ。

ここで一つの疑問がある。Facebookは集めたマネーをLibraの担保となる「リザーブ(準備資金)」として国債のような安全資産で運用すると言っている。レバレッジがかかったデリバティブで運用する訳ではない。25mのプールがあるとして、25mの全長を越えるクジラは決してやってこないはずではないか。

この疑問に対応する金融の専門家からの指摘として、カリフォルニア大学バークレー校教授のバリー・アイケングリーン氏が2019年10月10日付け日経新聞に寄せた寄稿「リブラ、安定性に致命的欠陥」がある(関連記事)。Facebookは、Libraの裏づけ資産は国債のような安全資産で運用すると説明しているが、「国債にも暴落リスクはある」とアイケングリーン教授はばっさり切り捨てる。Libraには預金保険もなく、「最後の貸し手」となる中央銀行もない。国債の大幅な価格下落でLibraの所有者が不安を感じたとき、「取り付け騒動」が起きてLibraのシステムが破綻する可能性がある、とアイケングリーン教授は言う。

既存の金融システムへのリスクが顕在化したとき(例えば国債が暴落したとき)、預金保険や中央銀行という安定システムを欠くLibraは、リスクを一般大衆に向けて拡散するツールになってしまう。これが日本銀行の黒田総裁が唱える「金融安定という公共財へのただ乗り」論にも通じる話である。もっとも、レバレッジが大きなヘッジファンドの方が、安定資産だけを担保とするLibraよりタチが悪い気もするが。問題なのは、Libraは10億人を越える規模で使われる可能性があるというところだ。

今までの仮想通貨(あるいは暗号通貨)は、各国の金融規制当局にとってマクロ経済に大きな影響を及ぼす可能性は考慮しなくてもよい程度の存在でしかなかった。最大の仮想通貨ビットコインの時価総額は記事執筆時点で約14兆7000億円の規模だが、その流通量は「金融安定」を揺るがすほどの規模ではない──金融分野の専門家はこのように考えている。背景には、値動きが激しいビットコインは主に投機用の資産に過ぎないという見方がある。言ってしまえば25mプールでコイが泳いでいるようなもので、「様子を見よう」という段階の存在だったのだ。

そこに、FacebeookがLibraを発表し、25mプールに15mのクジラが飛び込む可能性が出てきた。暗号通貨と巨大IT企業の組みあわせは、金融規制当局を瞬時に警戒モードに切り替えさせる効果があったといえる。

マネロン対策とプライバシー対策の板挟み

Libraについて、よく話題になるのはマネーロンダリング問題とプライバシー問題だ。Libraの規制に関連して、マネーロンダリングやテロ資金に流用される可能性の話がよく話題になる。一方、これはLibraの認可を引き延ばす「方便」であるという見方もある(関連記事)。

Libraブロックチェーンは許可制で、誰でも自由に使える訳ではない。エンドユーザーがLibraで送金する手段はCalibraウォレットだが、これはKYC(本人確認)を施して使うと発表されている。マネーロンダリングに悪用される心配は比較的小さいはずだ。

ここで、別の考え方がある。リザーブ(準備資金)を安全資産で運用する話も、CalibraウォレットのKYCの話も、FacebookやLibra協会が約束を守り、システムや資産を健全に運用するという前提のもとで成り立つ。日本のメディアに触れているだけでは今ひとつ分かりにくいが、Facebookはプライバシー問題で国際社会の信用を大きく損なっている。Calibraウォレットの運営元には、KYCと決済情報の形で非常にセンシティブな個人情報が集まる。このようなプライバシー問題に関しても議会を納得させるための努力が求められている。

マネロン対策をすれば、プライバシー情報を扱うことになり、その扱いも厳しく監督される。FacebookやLibra協会は難しい課題を抱えている。逆に言えば、これらの課題への対処を規制当局が納得すれば、Libra構想のハードルはぐっと少なくなる。

米国の新暗号通貨法に注目

2019年末、Libraをめぐる膠着状態に変化が見えてきた。

米国財務長官スティーブン・ムニューシン氏は、12月初頭に米議会で注目すべき発言を行った(関連記事)。大意は次のようになる。「(1) 米国は中央銀行デジタル通貨をあと5年は発行する必要はない。(2) Libraのような民間デジタル通貨は、やりたかったらやればいい。ただし米国の銀行秘密法(BSA)とAML(マネーロンダリング対策)を確実に守りテロ資金に決して使われないことが確認できるならば」。

(1)はLibra構想に刺激される形で中国の「デジタル人民元」の話題が増えていることへの牽制と見ることもできる。一方、(2)は要注目だ。欧州や日本の金融規制当局の厳しい論調とは異なり、Libraに対して否定的ではない。米国のマネーロンダリング規制に完全に服するなら、Libraを認める、とも受け取れる。

また2019年末に米議会に提出されたCrypto-Currency Act of 2020(暗号通貨法2020)は、注目すべき内容を含んでいる(参考記事)。この法案では「暗号通貨(Crypto-Currency)」の3つのカテゴリーを定めた。カテゴリーごとに規制機関が分かれる。crypto-currencies(暗号通貨)はFinCEN(Financial Crimes Enforcement Network)、crypto-commodities(暗号コモディティ)はCFTC(米商品先物取引委員会)、crypto-securities(暗号証券)はSEC(証券取引委員会)と定めた。

ここでCrypto-Currencyカテゴリーの(1)として、「ステーブルコインのように、コルレス銀行口座において完全に担保化された準備金を裏づけとしたデジタル資産」の「表象あるいは合成デリバティブ」と定義が記されている。Libraが狙うのは、おそらくこのカテゴリーだろう。

注目したいのは、この法案ではいずれのカテゴリーも「ブロックチェーン技術または分散した暗号学的な台帳」を使うものと定義されていることである。つまり、単なるデジタルなポイントではなく、不正発行などを困難とするブロックチェーン技術やその類似技術を使うことを求めている。この法案はクリプト界隈の言葉と金融規制の言葉が初めて本格的に交差した例といえるかもしれない。

発表当初の構想ではLibra協会のメンバーは独自発行のトークンを保持し、このトークン保持者は裏付け資産(リザーブ)の金利収入を配当として得ることができるとされていた。後にホワイトペーパーからこの記述は削除された(関連記事)。改訂後は「リブラリザーブで得られた金利はエコシステムの維持とトランザクション手数料を抑えるのに使われるほか、さらなる成長と普及を支えるために使われる」との記述になった。この変更の目的は、米国でLibraが証券扱いされることを回避するためだと考えられる。

金融トリレンマの課題は残る

最後に一つ指摘しておくことがある。「発展途上国に金融包摂を」というLibraの理想は現実的ではない。前述した日本銀行黒田総裁のFISC講演では、この話題にかなりの分量を費やしている。重要なのは「金融トリレンマ」である。

金融トリレンマの考え方によれば、強力なグローバル通貨は経済が弱い国の通貨や経済を破壊する可能性が高い。実際、通貨としてユーロを採用したギリシャ、イタリアは経済的に苦境に立った。

前出の山岡氏は「発展途上国などの現地通貨向けにLibraをリニューアルする可能性はあるかもしれない」と発言している。この先は筆者の意見に基づく仮定の話になるが、各国の現地通貨に連動するデジタル通貨とグローバルステーブルコインとの交換機能を、Libraブロックチェーンを活用することにより低コストで構築できる可能性はあるだろう。現地通貨を変動相場制で利用する形であれば、例えば新興国の通貨システムを破壊するおそれは少なくなる。もっとも、このような仕組みではFacebookが目指すグローバルで誰でも使えるサービスにはならないかもしれない。

世界中の金融コミュニティはLibra構想を強く警戒しているので、Libraがグローバルステーブルコインとして機能を始める時期は不透明だ。ただし、前述した米国のムニューシン財務長官の発言や新たに提出された暗号通貨法を見ると、おそらく米国はLibraを潰そうとはしていない。米国は、まず法制度を整え、その規制に服する形でLibra構想を立ち上げようとしているのではないだろうか。これが2019年末時点での私の意見である。

星 暁雄

フリーランスITジャーナリスト。最近はブロックチェーン技術と暗号通貨/仮想通貨分野に物書きとして関心を持つ。書いてきた分野はUNIX、半導体、オブジェクト指向言語、Javaテクノロジー、エンタープライズシステム、Android、クラウドサービスなど。イノベーティブなテクノロジーの取材が好物。