インタビュー

再生医療の最前線のさらにその先。iPS細胞をブロックチェーンで管理

実用化に向かう歯髄幹細胞の再生医療に活用されるNEM/mijin

岐阜大学大学院医学系研究科 組織・器官形成分野の手塚建一准教授

「ブロックチェーンによる医療用の細胞管理というのは、誰も回答を得ていない、誰もまだ本気では取り組んでいないテーマ。だからこそ、やりがいがある。」(岐阜大学・手塚建一准教授)

2012年に京都大学の山中伸弥教授がノーベル生理学・医学賞を受賞したことで、幹細胞の一種である「iPS細胞」、そして、それらを用いた「再生医療」という概念が広く知られるところとなった。これは、特定の細胞を元に患部細胞を培養し、壊死組織の回復に用いるという手法だ。こうした再生医療に用いる幹細胞の培養に、歯の神経である「歯髄」(しずい)が有効であることが分かっている。

歯髄による再生医療の現状と、これからどうなっていくのか。2004年から研究に取り組むという岐阜大学大学院医学系研究科 組織・器官形成分野の手塚建一准教授と、臨床研究を実施した国立長寿医療研究センターの庵原耕一郎氏に話を伺った。

国立長寿医療研究センター 幹細胞再生医療研究部 再生歯科医療研究室 室長の庵原耕一郎氏

親知らず1本を使って歯を1本再生できる

まずは歯髄再生医療の今ということで、手塚氏と庵原氏の説明から歯髄でできることを確認する。

歯髄は歯の神経を司る。除去すると歯の神経が失われるため、血液の循環が絶たれ、虫歯菌などに対する免疫が働かなくなる。歯が折れやすくなったり、表面が黒ずんだりといった問題も生じてくる。

歯髄を除去するとさまざまな弊害が起きる

歯髄を用いた再生医療は現在、人間の永久歯の神経再生に関して安全の確認ができている。高額な治療費が必要となるものの、治療を受けること自体は可能という段階だ。また、動物実験の段階であるものの、歯だけでなく脊髄や脳細胞の治療でも効果が出ており、脳梗塞や運動麻痺に一定の改善が見られている。

歯の再生治療では、今後の目標は治療コストの削減に集約されるが、いくつかの課題がある。

現段階では、患者自身の歯髄を使用しなければ再生治療を受けることができないというのが第一の課題だ。臨床研究では、患者本人の親知らずを抜歯。そこから歯髄細胞を採取し、幹細胞を培養していく。神経が死んだ1本の永久歯へ幹細胞移植を行い、治療を行っている。

歯髄再生治療の流れ

国立長寿医療研究センターでは、5人の患者に前述の施術を行った。患者により経過は異なったものの、歯髄幹細胞の移植により歯の神経が回復し、正常な歯と同等の機能まで再生に成功したという。

だが、現時点では患者自身の細胞しか使えないため、親知らずが残っている人しか治療できず、一般に普及するには難しいと言わざるを得ない。他人の歯髄から培養した幹細胞でも、有効であることが分かっており、マウスなどの実験では成果が出ている。今後の研究で安全性が確実となれば、第一の課題はクリアされると目されている。また、この時点で幹細胞の量産も可能になるため、治療コストの削減もある程度実現するだろう。

前置きが長くなったが、今回本題となるのはここからだ。歯髄幹細胞の量産体制をどう管理していくのか。従来通り紙ですべて行うとなると、膨大な人的コストがかかる上、最悪の場合移植する細胞を間違えるような医療事故にもつながる。そこで、ブロックチェーンの出番となる。

歯髄細胞バンク構想「ShizuiNet」

全国の歯医者で毎年、抜歯後に廃棄されている歯は、永久歯で1000万本、乳歯で2000万本あるという。中には歯髄が残ったまま廃棄されている歯もあり、特に親知らずの場合、歯としては健康な状態であり、歯髄を再利用できる。

廃棄される親知らずを集め、歯髄細胞バンクとして幹細胞の管理体制を敷こうというのが、岐阜大学の手塚准教授が進めるShizuiNetの構想だ。細胞移植の現場で、誤った細胞を移植したり、由来が不明な細胞を使用するなどということは、万が一にもあってはならない。現在こういった情報は紙ベースで管理されており、ヒューマンエラーのリスクを抱えている。実際、あるはずのないチューブが実験の現場に置かれているといった軽度の問題は頻繁に起きているのだとか。

採取した歯髄細胞はチューブに納め冷凍保存する。チューブ底面にバーコードがあり、個別に管理できる。写真左の細長いデバイスはバーコードの読み取り機。バーコードを通すと読み取り情報がRaspberry Piへ送られ、ブロックチェーンに刻まれる。
歯髄細胞を納めたチューブのトランザクションは受け取り時と発送時などに記録。コンソーシアム内で情報を共有する形になる。

ShizuiNetでは、ブロックチェーン上に幹細胞の情報を書き込んでいくことで、細胞がどこで培養されたか、どこから輸送されたか、どこで使用されたかといった情報を明確化し、厳密な管理を実現する。歯髄細胞は専用のバーコード付きチューブに保存する形。ネットワーク下の組織はチューブの受け取り時と発送時にバーコードを読み取ることで、当該チューブの現在地をタイムスタンプとともにブロックチェーンに書き込んでいく。この履歴を追えば細胞の来歴が調べられるという寸法だ。

医療研究の現場はいまだに紙が主流になっている。その理由を「実験の記録を取る際、時系列が重要になる。順序の入れ替わりは御法度だ」と手塚氏は説明する。「一つ前の時代に、実験の記録を時系列が明確でないSQLなどの電子記録へ移すことはできなかった。その点、ブロックチェーンは親和性が高い。ブロックを1つのページと考えると、ブロックチェーンは我々の実験ノートと同じ構造だと言える。」

ShizuiNetのブロックチェーンには、テックビューロホールディングスが開発するmijinを採用する。岐阜大学など研究機関や大学病院を中心とした歯髄細胞関連企業によるコンソーシアム「しずいバレー」という形で、複数の組織が共同で細胞バンクを運営していく形になる。

ShizuiNetは複数組織のコンソーシアムで運用。プライベートブロックチェーンのmijinを使用する予定だ。

ブロックチェーンに刻む情報は、「誰が誰に何をどうした」というシンプルなもの。チューブのバーコード読み取り時にトランザクションとして現在時刻と共にこの情報を記録する。例えば、しずい細胞研究所から送られてきたチューブを岐阜大学が受け取った際には、「しずい細胞研究所が岐阜大学から歯髄Aを受け取った」という情報が刻まれていく。

以上の情報を、複数の組織で共有する。ここから読み取れるのは、幹細胞がどこの施設を経由してきたかという情報のみ。歯髄の採取元の個人を特定するような情報は、個人情報保護の観点から記録されない。

現在はコンソーシアムとしてのmijinノード運用開始前ということで、互換性のあるNEMのパブリックチェーン上でShizuiNetの運用試験を行っている。NEMのネットワークを観測していると時折ShizuiNetのメッセージ付きトランザクションを見ることがあるが、すでにバーコードを読み取って自動的にトランザクションを送るという動作を実現している。

ShizuiNetの実用化は、歯髄再生医療の臨床研究を先へ進める必要があるため、まだ将来の話になる。だが、手塚氏は「今後歯髄細胞の需要は必ず増える」と語る。研究が終わった段階で十分な歯髄のストックがなければ、民間に広く普及させることはできない。歯髄細胞による再生医療の安全性確保を見越し、先んじて確実な管理体制を構築しようという考えだ。

ShizuiNetは歯髄細胞の管理のみを行うシステムとなるが、将来的には同システムを軸に医療関連の書類の共有だとか、薬や細胞などの管理に応用していくことも検討しているという。そのためには、まずは限られた予算の中で歯髄用のシステムが構築できることを証明する必要があり、いかに安価で確実なシステムを作るかが今の課題だ。

ShizuiNetはNEMのコミュニティから生まれた

ここからは半ば余談となるが、ShizuiNetがどのようにして生まれたのか、手塚氏が語る誕生秘話について紹介したい。実は手塚氏は日本のNEMコミュニティでも著名な人物で、NEMのホワイトペーパーの日本語訳を作成し、SNS「nemlog」へ投稿するなどの活動を行っている。NEMに興味を持って最初に起こしたアクションがそれだというから驚きだ。

手塚氏自作、NEMのホワイトペーパーを邦訳した「NEM解体新書」(写真右)。NEMの入門書(写真左)の編集協力も行っている。

ShizuiNetの着想についてはSlack上で運営されるNEMの日本コミュニティで生まれたという。ホワイトペーパーを訳す以前に、手塚氏は「NEMで細胞バンクを管理できるか」という質問をコミュニティに持ち込んだのだ。そこで参加者からの回答を受けて、「確かな手掛かりを得た」と話す。

その後、NEMのホワイトペーパーを翻訳しNEMlogで無料公開したのは、自身の技術への理解を確かなものにするという目的もあったが、コミュニティへの恩返しという側面もあるという。同SNSではNEMの投げ銭機能があるが、同書に対する投げ銭はすべてShizuiNetの研究費用に回している。試作段階のNEMでのトランザクション手数料は、すべて投げ銭から拠出しているのだとか。

手塚氏がホワイトペーパーの邦訳を行ったのが2019年4月のこと。同7月には現在のShizuiNetの仕様が定まっていた。NEMを選んだ理由は、手数料の安さだという。ShizuiNetは性質上大量にトランザクションが発生するため、重要なポイントとなる。コンソーシアムによる実稼働が始まればさらにトランザクションは増加し、プライバシーの懸念も生じてくる。実用化前の段階でNEM互換のプライベートチェーンであるmijinへと移行する予定だ。

まとめ

人生100年とも言われる時代だが、寿命とは別に健康でいられる期間を指す健康寿命というものがある。歯に関しては、その寿命は60年から70年。最終的には多くの人が入れ歯などに頼ることになる。だが、歯髄の再生医療が現実のものとなれば、歯の寿命を延ばすことも可能になるだろう。人生を最後まで健康に生きられる、そういう時代は見えるところまで近づいているのかもしれない。

日下 弘樹