イベントレポート

教育分野におけるブロックチェーンの可能性を探る、学歴社会から「学習歴社会」へ

学んだ知識を流通させて価値を生み出す「学習経済」の仕組みも解説、TIESシンポジウム2018レポート後編

 10月20日、奈良県の帝塚山大学にて「ブロックチェーンが教育を変える」と題したNPO法人CCC-TIES主催のシンポジウムが開催された。近年、教育分野においてもブロックチェーン技術を活用したサービスが国内外で登場し始め、教育関係者らの関心も高まりつつある。

 日本企業においては、株式会社ソニー・グローバルエデュケーションが同分野での存在感を高めており、シンポジウムでは同社ブロックチェーン事業のプロジェクトリーダーである高橋恒樹氏が登壇した。その取り組みやサービス内容については、「TIESシンポジウム2018レポート前編」で紹介した通りだ。本稿では、ブロックチェーンを取り巻く教育動向、新たな取り組みや課題などについて、シンポジウムに登壇した専門家らの講演をレポートする。

TIESシンポジウム2018で講演した登壇者。左から、ソニー・グローバルエデュケーションの高橋恒樹氏、デジタルハリウッド大学大学院の佐藤昌宏教授、放送大学の山田恒夫教授、NPO法人CCC-TIES附置研究所の堀真寿美主任研究員

ブロックチェーンで、学歴社会から“学習歴社会”へ

 前編では、ソニー・グローバルエデュケーションが手がけるブロックチェーンを活用した教育データネットワーク「EDN」について紹介した。学習者中心の新しい教育インフラとして非常に先進的なサービスであるが、一方で、実際の教育現場では受け入れられるのか。デジタルハリウッド大学大学院教授の佐藤昌宏氏は、EdTech(エドテック)分野から見たブロックチェーンの可能性について述べた。

EdTech分野の第一人者でもあるデジタルハリウッド大学大学院の佐藤昌宏教授

 佐藤氏はまず、自身が専門とするEdTechについて「デジタルテクノロジーを活用した教育のイノベーション」を意味する言葉であり、単なる自動化・効率化を目的としたテクノロジー活用ではないと述べた。EdTechが目指すのは、デジタルテクノロジーをベースにした教育の制度や仕組みにリデザインすることであり、学習者中心の学びを実現することだ。

 そうした視点でブロックチェーンを見ると、「学習者の評価が定点観測から常時観測へ変わる可能性を持っており、受験がなくなるかもしれない」と同氏は述べた。これまでは、中学3年生、高校3年生など、学習者がとある時期に受けた試験の点数で合否が判定されたが、ブロックチェーンで学習ログを日常的に記録することができれば、一発勝負で合否を決める受験は無意味になるのではないかというのだ。佐藤氏は「ブロックチェーンでは、その人がどのようなことを学び、どのような能力を持っているかを多面的に評価できるようになるため、受験に比べてフェアではないか」と語った。

 とはいえ、ブロックチェーンが教育分野でそこまでのインパクトを与えるイメージを持つことは難しい。そこで佐藤氏は、FinTechとEdTechの動きを比較した下記の図を提示した。もし、EdTechがFinTechと同じような動きを辿るなら、ブロックチェーンによって、教育分野にも新たな教育概念や価値がもたらされるかもしれない。

FinTechの動きとEdTechの動きを比較したブロックチェーンの可能性。FinTechの世界ではブロックチェーンが仮想通貨を生み出したように、教育の世界でもブロックチェーンが新たな価値をもたらす可能性はある

 佐藤氏は、「実際にMOOC(Massive Open Online Course)の世界では、その動きが始まっている」と述べた。MOOCとは、無料で受講できる大規模オンライン講義動画のことであるが、昨今は有料化や少人数制、単位取得型へと変化している。つまり、本気で学びたいモチベーションの高い学習者が集まっており、MOOCで受けたオンラインコースの修了証が価値を持ち始めているというのだ。そうなると当然、学習者が何を学んだのかを保証し、学習データを蓄積できるシステムが必要にある。実際に、学習者の資格情報や証明書をブロックチェーンで保存できるサービスも登場しており、佐藤氏は「ブロックチェーンはMOOCのニーズに答える形で広がっていくのではないか」と語った。

EdTehから見たブロックチェーンの可能性。今後は学習ログを記録する単位が細かくなり、学習歴が重視されると佐藤氏は指摘した

 佐藤氏はこうした流れを述べた後で、「今はまだ教育のブロックチェーンの利用は修了証の発行にとどまっているが、今後さらに学習者の学習ログを取得できるようになれば、学歴社会から“学習歴社会”へと変わる」と自身の考えを述べた。ただし、既成概念が残る今の教育を本当に変えていくためには、ブロックチェーンが救世主ではないという。「我々がデジタルテクノロジーの可能性を正しく理解し、制度や仕組みをリデザインしていく必要があることを忘れてはいけない」と佐藤氏は伝えた。

学習成果の情報を盛り込んだ「オープンバッジ」にブロックチェーン

 続いて、放送大学の山田恒夫氏が登壇し、教育分野におけるデータやコンテンツの国際標準化を進める国際団体「IMSグローバルラーニングコンソーシアム」(以下、IMS)の取り組みを紹介した。同コンソーシアムには、世界の教育機関や企業など442団体が参加しており、日本では一般社団法人IMS協会が活動を推進している。

放送大学の山田恒夫氏。同氏は教育分野で利用されるデータやコンテンツなどの国際標準化を進める一般社団法人日本IMS協会の理事も務める

 IMSは、デジタル学習環境を進化させる次世代電子学習環境(NGDLE)の構築をめざして、さまざまなシステム開発に取り組んでいる。現在は、多くの教育機関がそれぞれに学習管理システム(LMS:Learning Management System)を導入し、デジタル学習環境を構築しているが、次世代電子学習環境では、学習者や教育機関、サービスやコンテンツがシームレスにつながり、1つの学習エコシステムを実現しようという。こうした動きの背景について山田氏は、「人生100年時代における生涯学習にも合った学習システムが求められる」と述べた。

IMSが提案する次世代の学習エコシステム

 その中で、山田氏がブロックチェーンの教育利用として取り上げたのが、学習者の学習履歴を証明する「オープンバッジ」だ。たとえば、1つのコースを修了した後に、学習者の学籍情報や成績、評価基準、オープンバッジを発行した教育機関や発行日などの情報を盛り込み、デジタルのオープンバッジとして発行する。今までは成績証明や修了証といっても、就職や転職時に企業に見せるしか用途がなかったが、デジタルでオープンバッジにすることで、SNSなどで表示することが可能になるという。山田氏は「オープンバッジに盛り込むデータが改ざんされては困るので、そうした視点でブロックチェーンの利用が見込める」と語った。学習者がいつでも自分の学習成果をオンライン上でアピールできるオープンバッジにより、企業のリクルーティングなどが変わるだろう。

ブロックチェーンの教育利用で、学習者は学びの取引ができる

 最後に登壇したのは、NPO法人CCC-TIES附置研究所 主任研究員の堀真寿美氏だ。同氏はまず、時代の変化とともに「知識」の概念が変わってきていることを述べた。これまでは学習者が知識を得るためには教師や研究者、著述家から知識を伝授してもらわねばならなかったが、これからの学習者はインターネットを使って自分で知識を収集し、情報発信をすることで自分から知識や成果物を生み出すことが可能だ。ゆえに、同氏は「ブロックチェーンの教育利用で、学習者は学びを取引できるようになるのはないか」と新しい概念を提案した。

NPO法人CCC-TIES附置研究所 主任研究員の堀真寿美氏

 堀氏が所属するNPO法人CCC-TIESでは、すでに学習者の学びを価値に変える活動に取り組んでいる。同氏はこれを「学習経済」と呼んでおり、学習者が獲得したなんらかの学習成果を取引できる実証実験を始めているというのだ。

 下の写真は、堀氏が提案した「学習経済」の仕組みをまとめたものだ。一例として、アリスはプロの農家で、ボブは農業指導者という立場だったとしよう。アリスは日々の農業の様子をブログなどで発信し、ブログの内容もブロックチェーンで知財管理できるようにしておく。一方、農業指導員のボブは、新しい農業のマニュアルを作りたいときに、仮想通貨を払って、アリスのブログを引用する。さらにはマニュアルが他者に売れたときは、アリスにも仮想通貨を払う。このように学習者の学んだ知識を流通させて価値を生み出すのが、堀氏たちが考える学習経済だ。

NPO法人CCC-TIESが考えるブロックチェーンを活用した教育システム。堀氏はこれを「学習経済」と呼んでいる

 以上のような、ブロックチェーンを活用した学習経済について、堀氏たちは分散型ソーシャルネットワーク「Mastodon」(マストドン)を活用した実証実験をすでに始めている。下記写真は、そのマストドンの画面だ。

堀氏たちが取り組む学習経済の実証実験。写真右)学習者は画面左の投稿欄に農業のワンポイントなどを書き込み、知識や情報を生産する。それは「ナレッジマーケット」で共有される仕組みで、ブロックチェーンに投稿を記録したい時は、投稿の最初に「@clip」を付ける。一方、ナレッジマーケットの知識や情報を買いたい人は、仮想通貨で対価を払い購入する。購入した情報は、電子書籍などに加工可能で、販売することもできるという

 最後に堀氏は、「今まで教育で対価がもらえるのは教える立場にいる人だけであったが、学習経済に変わると、学習者も学ぶことで対価を得ることができる」と述べた。価値の流通が可能になることがブロックチェーンの本質であり、今の教育にも大きなインパクトを与えることができるというのだ。

教育分野におけるブロックチェーンの課題点はなにか

 シンポジウムの最後は、登壇者全員によるパネルディスカッションが行われた。会場からの質問を受ける形で進められ、参加者らは多くの質問を投げかけたが、教育分野におけるブロックチェーンの課題点について掘り下げてみよう。

左から、ソニー・グローバルエデュケーションの高橋恒樹氏、デジタルハリウッド大学大学院の佐藤昌宏教授、放送大学の山田恒夫教授、NPO法人CCC-TIES附置研究所の堀真寿美主任研究員

 堀氏は課題点について、「誰がターゲットなのか分かりづらいところだ」と述べた。ブロックチェーンを活用した教育システムは、「学習者中心」を実現できるのが良い部分でもあるが、学習者とは一体誰を指すのか。幼児教育、学校教育、リカレント教育とターゲットの幅が広く、サービスを使ってほしい層を絞り込むのが難しい。これから見つけていくことが課題であると述べた。

 山田氏は、「学習履歴の蓄積やデジタルの成績証明などは、何もブロックチェーンじゃなくても実現できる。ブロックチェーンでなければ実現しない教育はないか。それを示すことができていないのではないか」と語った。世の中には情報銀行も登場し、ブロックチェーン以外の方法も存在している。「ブロックチェーンでなければならない理由」を広く発信していく必要があるというのだ。

 高橋氏は山田氏の指摘について、「ブロックチェーンでなければならない理由は、“信用を作りだせること”で、権威に頼らなくても良いことだ」と述べた。また課題点については、「そもそもデータ管理の手法として“分散型”に慣れておらず、“データなんて一人で管理すればいい”と考える人も多いことだ」と語った。ブロックチェーンは複数の企業や関係者がつながることで、データ管理の信頼性も増すため、ブロックチェーンに参入する関係者を増やすことが課題だというのだ。

 佐藤氏は、「ブロックチェーンが教育を変えるのではなくて、学習者中心の学びの実現するために有効なテクノロジーは何か、という視点を忘れてはいけない」と述べた。また、そもそも今の教育現場は、学習内容や履歴をデータで管理することにも慣れていないので、ブロックチェーンのような新しい取り組みを進めるときは、失敗を許容しながら挑戦を促すことが重要だと語った。

 「教育とはこうあるべき」という既成概念を乗り越えて、ブロックチェーンが学習者中心の教育システムを実現するのか。これからも長い道のりが続く。

神谷 加代

教育ITライター。「教育×IT」をテーマに教育分野におけるIT活用やプログラミング教育、EdTech関連の話題を多数取材。著書に『子どもにプログラミングを学ばせるべき6つの理由 「21世紀型スキル」で社会を生き抜く』(共著、インプレス)、『マインクラフトで身につく5つの力』(共著、学研プラス)など。