イベントレポート

電子国家エストニアでの引っ越し手続きはFacebookのプロフィールを変えるぐらい簡単

本気でマイナンバー制度を施行するIT先進国から学ぶFLOC特別セミナー

パネルディスカッションの模様。写真左から、齋藤アレックス剛太氏、日下光氏、ポール・ハッラステ氏

ブロックチェーン総合スクール「FLOCブロックチェーン大学校」を運営する株式会社FLOCは6月6日、東京・丸の内vacansにてFLOC特別セミナー「ブロックチェーン国家エストニアから学ぶデジタル官民連携の実用事例セミナー」を開催した。

日本政府は2023年までに電子政府化を掲げている。セミナーでは世界に先駆けて電子政府化を実現し、各国から手本とされているエストニアからその仕組みについて学ぶ。現地での暮らしや、逆に日本に移り住んだ時に感じる利便性の違いについて、電子政府化で国民生活がどのように変わるかをお伝えしたい。

セミナーはエストニア電子政府における官民連携を説明する前半と、電子政府によって市民レベルでどのようなメリットが得られるのかをパネルディスカッション形式で議論する後半の2部構成で行われた。前半は現地法人SetGo Estonia OÜ社・共同創立者の齋藤アレックス剛太氏が講師を務めた。後半は斎藤氏が司会進行を担当。パネリストとして現地法人blockhive社・共同創立者の日下光氏とEstLynx OÜ社・代表兼CEOのポール・ハッラステ氏が登壇した。

エストニア電子政府におけるデジタル官民連携事例

SetGo Estonia OÜ社・共同創立者の齋藤アレックス剛太氏。e-Residencyの公式ライターとして活動し、Forbes誌やDiamond誌に寄稿している

エストニアは、ちょうど九州と沖縄を足した程度の国土に、沖縄の県民数と同程度の人口を持つ。人口密度は比較的低い。28年前にソ連から独立しており、現政府は古い制度に縛られることなく新たな施策への挑戦を続けているという。その一つが今回のテーマつなる電子政府化だ。

エストニア政府は、e-ID、X-Road、KSIブロックチェーンという3つの技術基盤で電子政府を実現している。政府が打ち出すこれらの規格(KSIブロックチェーンは民間企業のGuardtime社が開発)に、民間企業が肉付けする形で官民連携したサービスを展開しているのだ。

エストニアのマイナンバー「e-ID」

e-IDは、日本で言うマイナンバー制度であり、それ自体は大きく変わらない。エストニアで受けられる行政サービスのほとんどはe-IDを基準に提供される。外国人居住者向けにも発行されている。日本のマイナンバーとの違いは、その普及率だ。日本のマイナンバーカードの普及率が12.4%程度と言われている。一方、エストニアのe-IDは、15歳以上で同国の永住権を持つ居住者の94%をカバーしている。

e-IDは身分証や保険証として利用できる他にもさまざまな機能を有する。処方箋の受け取りや電子投票、電子署名やオンラインバンキングに利用でき、一部の公共交通機関の利用や政府・民間サービスの利用にもe-IDを用いる。つまり、エストニアではe-IDカードさえ持っていれば他のカードを持ち歩く必要がない。

e-IDの一例。利用者の属性によって様式は異なる

データベースの連携基盤「X-Road」

e-IDを用いてさまざまなデータを呼び出すためのデータベース連携基盤がX-Roadだ。電子政府化以前のエストニアでは政府の各部門が別々にデータを持っていた。当初、このデータを統合するというプランが検討されたが時間も予算も不足したという。そこで考案されたのが、既存のデータベースをそのままに、それぞれを連携基盤によって接続し、一元的に呼び出せるようにするX-Roadだ。

X-Roadは、政府の業務に劇的な効率化をもたらした。非電子政府と比較して、年間で800年に相当する作業時間を削減しているという。フィンランド、アゼルバイジャン、キルギス、ナミビアでも採用されている。

データベースの連携によって、国民はログイン作業が一回で済むという恩恵を受ける。例えば銀行サービスにログインした後に、ECサイトを利用する際、e-IDを用いたログインがそのまま継続するのだ。データの主権性についても担保する。e-ID上の個人データを企業が利用する際には、その個人に対して承認申請が行く仕組みになっている。また、自身の個人データに対して、誰がアクセスしたかを追跡する機能も持つ。

KSIブロックチェーンでデータの完全性を保証

3つ目はKSIブロックチェーン。民間企業のGuardtime社が開発したテクノロジーで、毎秒タイムスタンプを記録していくことで、X-Road上のデータの完全性を保証する。データが不正に書き換えられても、それを確実に追跡するための仕組みとなる。

エストニアのデータそのものはブロックチェーン状に置いているわけではない。補助的にブロックチェーンを用いて、その真正性を担保できる特性だけを使っている形だ。ちなみにGuardtime社は米国国防総省や情報機関など各種米国政府機関にも技術を提供している。

斎藤氏は、「電子政府は難しく捉えられがちだが、複雑だったり手間がかかる役所的な事務手続きを、シンプルにして効率化するものだ。エストニアの政府は小さく、スリムな体制で運営されている」として、講演をまとめた。

エストニアと日本の暮らしの違いを討論

後半のパネルディスカッションでは前半で講演を行った斎藤氏が司会進行を担う。日本出身でエストニア在住の日下氏と、反対にエストニア出身で東京在住のポール氏がパネリストを務める。

「日本に来て生まれて初めてペンでサインを書いた」(エストニア出身・ポール氏談)

EstLynx OÜ社・代表兼CEOのポール・ハッラステ氏。アナリスト・デジタルマーケターとして活動

エストニアで生まれ育ったポール氏はビジネスで日本に住むようになって不便なところを感じているという。氏は日本で結婚し、最近子供ができた。それを機に引っ越しも行った。

当然、日本で結婚・出生・転居といえば、その過程で何度も役所に足を運ぶことになるのは想像に難くない。エストニアで暮らしている間は全く役所を訪れたことがなかったというポール氏は、その煩わしさを痛感したという。

エストニアなら、それらの手続きはすべて自宅にいながらスマートフォンやPC経由で数分で完了する。実際にエストニアで引っ越しをした経験から「転居届はFacebookのプロフィールを変えるぐらい簡単」と日下氏はコメントした。賃貸の管理もX-Road上にあり、家具は備え付けてあるため、身一つで新居へ移動してe-IDから引っ越しの手続きをすれば、ライフラインも自動で切り替えてくれるという。

また、ポール氏は宅配便の受け取りやクレジットカードの支払いで、サインを書いたのも初めてのことだったと語る。あまりにもペンで自身のサインを書いたことがなかったので、自分の名前が合っているか不安だったと述べ会場に笑いを誘った。

エストニアで体調を崩し倒れてみる実証実験

blockhive社・共同創立者の日下光氏。エストニアの政府アドバイザーとしても活動

日本からビジネスでエストニアへ移り住んだ日下氏は、電子政府の利便性を高く評価した。会場からの質問で、電子政府で医療がどう変わるのかというものが多数あり、日下氏は現地で実際に倒れ、病院のお世話になった出来事を「実証実験」として、その経験を語った。

病院の手続きは非常にスムーズに行われた。まず病院を訪れるとe-IDを窓口で見せ、そこで料金の支払いも行う。あとは診察順を待ち、診察が終わると窓口には寄らずに帰宅できる。この時点でe-IDには診察記録と電子処方箋が発行されている。薬局にe-IDを持って行くと薬の処方を受けることができたという。

さらに後日、日下氏は別の病院を訪れてみた。実証実験だからだ。日本では通常、以前の病院でどのような診察と治療を受けたのか、患者自身が語る必要があるだろう。しかし、氏が別の病院を訪れると医者は治療状況をすべて把握していた。改めて症状を説明する必要がなかったのでスピーディかつ的確な診察を受けられたと述べた。

所見

実は筆者もマイナンバーカードの普及率にストップをかけている一人。他に使い道がない証明写真のために身だしなみを整えて有償で撮影し、役所に足を運んで登録の手続きをするという、煩わしさの塊のようなプロセスの実行を無限に延期している次第だ。しかし今回のセミナーで語られた電子政府の利便性には魅力を感じた。日本の電子政府化でエストニアと同等のものが実現するなら、重い腰を上げることもやぶさかではない。

日下 弘樹