イベントレポート

国家レベルの金融インフラにDLTを活用できるのか=FIN/SUM 2019

日銀らが取り組む「プロジェクト・ステラ」の成果とこれから

「FINSUM」初日の9月3日、日本銀行による企画セッション「プロジェクト・ステラ : DLTと決済インフラの未来の探究」が開催された。金融市場インフラにDLTを果たして活用できるのか? 日本銀行と欧州中央銀行による共同プロジェクトの中身を解説しつつ、後半では識者がその将来性などについて議論した。

DLTが国の金融市場インフラとして活用できるかを検証

セッション前半は、日本銀行・決済機構局でプロジェクト・ステラのチームリーダーを務める岸道信氏(参事役)が、プロジェクトのあらましについて解説した。

日本銀行の岸道信氏(決済機構局参事役)

プロジェクト・ステラは、2016年12月に日本銀行と欧州中央銀行(ECB)によって共同で立ち上げられた。DLT(分散型台帳技術)の金融市場インフラへの応用可能性に関する共同調査を目的にしている。

ここでいう金融市場インフラとは、日本の国内銀行間の為替取引で使われる「全銀ネット」、日本銀行の運営による「日銀ネット」などを想定。各国の中央銀行が実際にDLTを導入するかは定かではないが、金融市場をめぐる技術環境が激変していることを踏まえ、その影響を研究する狙いという。

プロジェクト・ステラでは検証を着々と進めており、2017年9月にフェーズ1、2018年3月にフェーズ2の報告書を発表済み。2019年6月のフェーズ3報告書では、クロスボーダー送金(異なる通貨圏への送金)に関する調査結果がまとめられている。

これまでの進展。フェーズごとに報告書がまとめられ、公表されている

例えば海外留学中の家族に対し、日本から学費を送金する場合、数日から1週間程度の時間がかかるだけでなく、手数料も数千円におよぶ。この背景には、少なくない数の金融機関の仲介を連鎖しなければならないとされるが、DLTはこうした送金を巡る課題を解決するカギとして期待を集めている。

フェーズ3の調査では、おもにHTLC(Hashed Timelock Contracts)と呼ばれる手法を使うことで安全性を確保しながら──例えば中継銀行の破綻による取りはぐれを防止しつつ──クロスボーダー送金できることが技術的に確認できたという。今後は法律面の整備や、技術の更なる成熟などが望まれると報告書では結論づけられている。

フェーズ3で行われたクロスボーダー送金の手順例
全部で5つの手順が試された

中央銀行とDLTの関係性

セッション後半はモデレーターの岸氏ら5名によるパネルディスカッションが行われた。

Japan Digital Designの楠正憲氏(Chief Technology Officer)はプロジェクト・ステラの印象について聞かれると「ブロックチェーンがこうした用途(金融市場インフラ)に使えるのだということを、実際にシステムを動かして証明してくれたのは大変心強い」と述べた。

Japan Digital Designの楠正憲氏(Chief Technology Officer)

ブロックチェーンは官民問わずさまざまなグループが研究開発を行っているが、多くがPoC(概念実証)のフェーズを超えられず、実用・商用化されているサービスが極めて少ない点が課題だと楠氏は指摘する。その中にあって、中央銀行レベルでの研究の意義は大きいという。

もちろんブロックチェーンを金融市場インフラとして使うためのハードルは高い。楠氏は具体的に、エンジニアの雇用コストの高さ、それに伴う人材供給面での安定性不足、ミドルウェアとしてのブロックチェーンのライフサイクルがシステム更改のそれと比べて速すぎる点などを挙げた。「『できる』と『やってみる』の間に大きな乖離がある」(楠氏)

この“PoC超え”は、岸氏らにとって大きな課題という。政府の通貨当局によるブロックチェーンの活用事例については、例えばシンガポールの「Project Ubin」が実装に向けて非常にアグレッシブな動きを見せているという。

対して日本銀行はDLTの実用可能性を把握・調査している段階に過ぎないが、周辺の事情によっては、突如ギアチェンジする(プロジェクトを加速させる)タイミングを判断しなければならない可能性もある。

日本銀行にとって、新技術の導入を巡っては、日銀ネットの反省がある。1988年稼働のその前夜、果たして日本銀行が運用すべきシステムなのか、議論が紛糾していたが、結果として開発に着手。現在なお利用されている重要システムへと成長した。

ブロックチェーンも、一見しただけでは日本銀行とは関係が薄い。ただ技術情勢は絶えず変化し、社会の要請も時代によって変わっていくだけに、岸氏らプロジェクトメンバーは常に緊張感をもって研究に臨んでいるという。

DLT活用を阻むハードルは

日本取引所グループの山藤敦史氏(総合企画部フィンテック推進室長兼IT企画部・企画統括役)は、ドラスティックな改革が金融界で起こった例として株券の電子化(2009年1月実施)を挙げる。だが、それにも関わらず、売買単位の統一にその後結局、約10年かかったり、議決権行使書に関する事務も決して効率化されているとはいえない。

この例からもわかるように、ある先進技術があっても、その周辺には莫大な量のワークフローが絡み合い、時には足を引っぱっている。「株券は確かに記録という意味では電子化されたのだが、“デジタルアセット”という領域にまではいっていない」(山藤氏)

金融資産と、その金融資産を活用するためのアプリを一体的にとらえて、処理・流通を効率化させようというアプローチは「プログラマブル・マネー」などと称される。山藤氏はDLTの周辺にもまた注目すべきだと述べる。

日本取引所グループの山藤敦史氏(総合企画部フィンテック推進室長兼IT企画部・企画統括役)

三菱総合研究所の河田雄次氏(社会ICTソリューション本部・事業基盤ICTグループ・主任研究員)は、日本銀行へ一時出向し、プロジェクト・ステラのフェーズ1および2に携わった。河田氏は個人の感想として、DLTの根本は今後30〜40年のレベルでそれほど変化せず、維持されるのではないかと指摘する。

例えばインターネットの技術的根幹であるTCP/IPは発明から数十年が経過するが、その中身が大きく変わってはいない。ブロックチェーンも同様に、ブロックサイズなどに起因するスケーラビリティの問題等はあるものの、技術的には利用される続けるだろうと予測する。

河田氏によれば、ブロックチェーン普及を阻む壁は、むしろ「ガバナンス」ではないかという。パブリック・ブロックチェーンでもプライベート・ブロックチェーンでも、参加者が増えれば増えるほど、その合意形成が難しくなる側面もあるためだ。

三菱総合研究所の河田雄次氏(社会ICTソリューション本部・事業基盤ICTグループ・主任研究員)

日本銀行の北條真史氏(決済機構局)はエンジニアとしてプロジェクト・ステラに携わる。プロジェクトでは、おもにオープンソースのレッジャーが用いられているが、その技術的進化速度が極めて速く、検証を進めているうちに次のバージョンアップが行われ、互換性維持のための改造を余儀なくされるケースもあった。ここは、長期的・安定的に稼働させるシステムを構築する上での課題という。

日本銀行の北條真史氏(決済機構局)

決済の将来にDLTはどう影響するか

金融分野に限ったことではないが、ビジネスにおける合意形成の難しさは誰もが認めるところだ。山藤氏は、PoCから正式稼働へ移行するとなった時にやはりそうした問題が噴出すると話す。「どう契約するか、ファンディングはどうするのか、権利はどう処理するのか、そうした交渉に入った途端、どのプロジェクトもスローダウンしてしまう印象だ。そうなると、担当者の“情熱”がドンドンそがれていってしまう」(山藤氏)

プロジェクトが大きくなるほど、“最後の一歩”を参加者全員が同時に踏み出すことは難しい。こうした状況を打破するために、日本銀行のような中立・公平な機関の存在は大きいのではないかと山藤氏は述べる。

楠氏は、ビットコイン、イーサリアムをはじめとしたDLT技術の多くがオープンソースで開発されていることに大きな意義を見出している。「どれも“手のうちが明かされた技術”であり、スマートコントラクト絡みのプログラムコードを誰でも読める。高校生時代にGitHubでそうした情報に触れた世代が、社会に出始めている。『技術の民主化』が明らかに進んでいて、そうした子たちが世界規模で起こす“いたずら”が、社会変化のきっかけになるのではないか」(楠氏)

楠氏が最近衝撃を受けたというのが、モナコインの送金で遊んでいた子供たちが銀行振り込みを初めて試してみて「なんだモナコインと同じじゃないか」と話していた声。中高年世代からすると冗談にしか聞こえないエピソードだが、若い力はDLTの趨勢に影響を与えていくとみて、間違いないのだろう。

河田氏は、プログラマブル・マネーの普及には、金融以外の周辺要素との連携もまた重要だろうと指摘する。「民泊の支払いで部屋の鍵が開けられるとか、通販・物流との連携などもできないようにならないと、難しいだろう。IoTや3Dプリンターといったものと絡むことで、プログラマブル・マネーは真価を発揮するのでは」(河田氏)

森田 秀一