イベントレポート
富と名声を手に入れた男の次なる取り組みは「仮名社会」の実現
Coinbase元CTOによる新たなソーシャルネットワークの可能性
2019年11月19日 11:40
サンフランシスコで開催された「SF Blockchain Week 2019」のメインイベントEpicenterより、CoinbaseのCTOを務めたBalaji Srinivasan氏によるキーノート「The Pseudonymous Economy」のレポートをお届けする。
約128億円でCoinbaseに買収されたEarn.com
Earn.comの名を知っている人はどれ程いるのだろうか。Coinbase Earnと言い換えれば、認知は増えるのだろうか。
Earn.comは、Srinivasan氏によって設立された暗号資産・ブロックチェーン業界におけるスタートアップ企業である。Srinivasan氏が設立した21 Incという名の会社が、2017年にリブランディングし誕生した。なぜこのようなスタートアップ企業の創業者が、SF Blockchain Weekのような巨大カンファレンスのキーノートを任せられるのだろうか。理由は全て、Srinivasan氏の輝かしいキャリアにある。
Srinivasan氏は元々、世界で最も著名なベンチャーキャピタルであるa16z(Andreessen Horowitz)でGeneral Partnerを務めていた人物だ。そんな彼が暗号資産・ブロックチェーン業界で自らのスタートアップ立ち上げ、2018年4月に米国大手取引所Coinbaseに約128億円で売却し話題となった。Srinivasan氏はEarn.comを売却後、そのままCoinbaseのCTOに就任している。当時は高すぎる評価額が議論を巻き起こしたが、所謂タレント買収であったことは間違いない。
Earn.comが運営していた一つのサービスは、そのままCoinbase Earnへと名称が切り替わり、「学習するほど暗号資産がもらえる」という形態で提供されている。Coinbaseの利用者に対して、特定の暗号資産について学習すると、その暗号資産がもらえるという仕組みだ。この非常にユニークなサービスは、Coinbaseの新規ユーザー獲得に一際大きな役割を果たしているだろう。
プライバシーの潮流と共に「仮名」に再び焦点があたる
そんな眩い経歴を残してきたSrinivasan氏のキーノートは、ソーシャルネットワークにおける「仮名の重要性」についてである。彼の話を聞くまでは正直、Srinivasan氏ほどの人物が今回のようなキーノートで改めて話すことでもないように感じてしまった。しかし、昨今のプライバシー保護の流れや暗号技術の台頭を考えると、仮名はこれからがメインストリームなのだろう。
Srinivasan氏は、仮名性は非中央集権性と同じぐらい重要だと言及した上で、仮名を推奨する理由として、ソーシャルネットワークにおけるコンテンツの質について触れた。
「本名を強いられるソーシャルメディアでは、人々は本心を露わにすることを控えます。それだけでなく、プライベートな投稿も制御せざるを得ず、窮屈な楽しみ方になってしまうのです。」
仮名性と非中央集権性を同列に置く考え方は、非常に合理的だといえる。なぜなら、仮名は非中央集権化を加速させるからだ。Srinivasan氏はサプライチェーンを例にあげ、仮名によるプライバシーの保護や経済合理性についても説明した。仮名制を採用することにより、プライバシーの保護が担保される。さらに、彼は経済的にも合理的であるという。これは、仮名性によって人々が立場や過去の発言を気にせず目の前の合理的な選択を行うことができるようになる、という見解によるものだ。
Srinivasan氏によると、「現在のソーシャルネットワークには0か100の選択肢しか存在しない。報復のない議論ができる空間が必要である。」という。彼はこの空間のことを「The Pseudonymous Economy」と表現した。
仮名評価の仕組みにゼロ知識証明を採用
ここで疑問視されるのが、ソーシャルネットワークにおける仮名性の弊害である。Facebookのような本名で利用することが前提となっているソーシャルネットワークでは、サービス上での様々な行動を実際の世界に反映させることができる。例として、出会った人とアカウントを交換したりメッセージをやり取りしたり、といった点があげられるだろう。また、行動データによる信用スコアや精度の高い広告表示も、本名ならではの仕組みだ。仮名の場合、これらをどのように実現するのだろうか。ここで登場するのが「ゼロ知識証明」(ZK:Zero-Knowledge Proof)である。
ゼロ知識証明とは、当事者間で情報をやり取りする際に、その情報が正しいということ以外の情報を相手に伝えることなく、その情報が正しいことを証明する暗号技術である。データの匿名性や個人のプライバシーを重要視するブロックチェーン業界において、大きく注目を集めている技術だ。Srinivasan氏は、Zcash Foundationが中心となって開発が進められているZK Snarksのようなゼロ知識証明を活用することで、仮名性を担保したまま本名アカウントのデータを引き継ぐことができると説明する。
彼は、ソーシャルネットワークを利用する際に全く同じユーザー体験ができるとして、本名であることと仮名であることのどちらがより好ましいか、ということを力説していた。そして、この仕組みは全てのソーシャルネットワークで実現することが可能だという。
著者の考察
レポートを書き上げた今となっても、Srinivasan氏が固執するほどの何かが「仮名」にあるとは思えない。彼のように多くのスポットライトを浴びてきた人間が感じる、スポットライトを浴びないことの希少性などがあるのだろうか。また、セッションの中でSrinivasan氏が匿名(Anonymous)ではなく仮名(Pseudonymous)という言葉を使っていたことも興味深い。CoinbaseのCTOをも務めた技術に明るい彼の頭の中では、おそらく仮名は匿名の上位互換として構想されていることだろう。確かに理論上は、ゼロ知識証明を活用することで匿名にせずとも個人のプライバシーを保護することができる。Srinivasan氏の次のアクションに注目していきたい。