イベントレポート

分散型金融が創り出すビジネスバンキングの未来

安全性と利便性を兼ね備えたエンタープライズDeFi銀行「Multis」とは

本稿では、3月3日から5日にかけて、フランスのパリで開催された「Ethereum Community Conference 3」(EthCC 3)のセッション「Building the future of business banking with crypto(クリプトが創り出すビジネス銀行の未来)」に関する内容をお届けする。スピーカーは、Multis(マルティス)創業者兼CEOのThibaut Sahaghian(ティボ・サハギアン)氏だ。

現状の暗号資産ビジネスが抱える大きな問題

スピーチ冒頭でサハギアン氏は、「現在使われている暗号資産ウォレットは、企業のビジネス利用のために作られていない。その状況が多くの問題を引き起こしている」と述べた。氏によれば、問題は大きく分けて二つある。一つ目が「セキュリティの低さ」であり、二つ目が「利便性の低さ」だという。

まず、一つ目のセキュリティの低さに関して、氏は「チームの中で暗号資産を管理するリスク」「取引所などのカストディ業者に資産管理を任せるリスク」「秘密鍵を一度失うと資産を全て失うリスク」という3つを例に挙げた。

「ブロックチェーン業界では、企業の創業者やチームメンバーが暗号資産を持ち逃げした事例や、失踪ないし死亡により資産が失われた事例が少なくない。それに加え、一度秘密鍵を忘れたり紛失してしまった際に、全ての資産が失われるといったケースも後を絶たない」と氏は指摘する。

次に、二つ目の利便性の低さに関して、氏は「給与の支払いや取引における決済が困難であること」「会社の取引履歴をトラッキングできないこと」「会社の保有する資産で利息を稼げないこと」の3つを例に挙げた。

「一般的な暗号資産ウォレットは、給与の支払いや請求書の発行といった機能を持たないため、ビジネスにおける利用が非常に難しい。また、多くの暗号資産を扱う企業は同時に複数のウォレットを併用しているため、取引履歴の集計が難しく会計が困難だ。そして、暗号資産ウォレットでは、銀行預金のように金利収入を得ることができない」と氏は説明する。

以上の背景から、企業は現状のビジネスにおいて暗号資産ないし暗号資産ウォレットを利用することができていないのだという。

そんな現状に対し、氏は「もしEthereumの内部通貨ETHがお金であると主張したいのであれば、我々はETHを日常的に使えるようにすべきである」と主張する。そして、上述の問題を解消し、企業の暗号資産のビジネス利用を可能にする解決策が、彼らのプロダクトMultisだと述べた。

「Multis」とは何か

では、Multisとは一体どんなソリューションなのだろうか。サハギアン氏はMultisを、「暗号資産のビジネス利用を可能にするバンキングソリューション。上述のセキュリティ及び利便性という2つの問題を解決できる、新しいウォレットサービスだ」と説明する。

氏は、「Multisはマルチシグ機能を導入することで、企業の暗号資産の共有管理や秘密鍵の復元を可能にし、高い安全性を実現する」と述べる。また、特筆すべきは、顧客資産を直接預かることのないウォレット設計により、高いセキュリティを保証している点だという。

氏によると、これらの安全性を実現できる理由は、同社が採用するマルチシグネチャー(複数署名)という技術にあるという。マルチシグネチャーとは、暗号資産の送金に複数の署名(秘密鍵)を必要とする仕組みで、秘密鍵の分散管理を可能にする技術だ。

次に利便性の向上策について、「スマートコントラクトで設計されたMultisのマルチシグウォレットは、外部のスマートコントラクトとの接続を可能にする」と述べた。

つまり、暗号資産取引における請求書発行や金利収入の獲得、トークン交換などの機能を持った外部の金融サービスを、ウォレット機能の一つとして組み込むことで、高い利便性を実現するということである。

左のブロック:Multis 右のブロック:Nexus Mutual(保険)、Set Protocol(トークンバスケット)、Request Network(請求書発行)、Sablier(給与支払い)

氏は、「Multisの目標は、通常の銀行のビジネス口座と同等か、もしくはそれ以上の安全性及び利便性を兼ね備えた暗号資産ウォレットを提供することで、Web3.0と分散型金融(DeFi : Decentralized Finance)の発展を促進するだろう」と述べた。

なぜDeFiなのか

サハギアン氏は最後に、DeFiを活用する理由について言及した。氏によれば、「Multisがウォレットに加えてバンキング機能を提供するためには、DeFiサービスは不可欠である」という。

「DeFiサービスは、スマートコントラクトの性質上、相互運用性を生み出すことが可能である。まるでレゴブロックのように、次から次へとサービスを組み合わせ、最適な金融ソリューションを創り出すことができる」と述べる。

Multisは、レゴブロックのようにDeFiサービスを組み合わせる(出典: “Building the future of business banking with crypto”)

上図を見ると、氏が何を言っているのかを明確にイメージできる。Multisは、複数のバンキング機能を自社開発しているのではない。トークン交換や預金、給与支払い、請求書発行などの機能を持つ外部のスマートコントラクトを組み込みこむことで、バンキングサービスを提供しているのである。

氏によれば、Multisは他にも保険やトークンバスケット、法定通貨との交換を行うサービスなどを将来的に組み込んでいく予定だという。さらには欧州の銀行システム(IBAN)との接続も計画しており、「より多くの企業がDeFiの恩恵を享受できるソリューションを提供していく予定だ」と述べた。

同社の投資家には、Y Combinatorや、DeFiスタートアップに多数投資実績のあるCoinbase Capitalが名を連ねる

筆者の考察

DeFiエコシステムは、銀行機能を代替するといわれる金融サービスをこれまで数多く生み出してきた。最近は、複数のDeFiサービスを内蔵するウォレットが複数登場するまでになっている。

ただし、そのほとんどは個人消費者向けだ。筆者にとって、「ビジネス用のDeFiウォレット」というアイディアを見たのは、Multisが初めてである。DeFiはまず消費者向けに広がっていくとばかり考えていた。しかし同プロダクトからは、企業向けにDeFiの利用が拡大する未来を強く予感させられた。

調達や収益によって得た暗号資産を、法定通貨に換金することなく支出や運用に回すことができれば、スタートアップはより効率的にビジネスを運営していくことができる。企業向けの普及が始まれば、DeFi市場は一層大きな成長を見込めるだろう。同社の今後の展開に大きく注目していきたい。

渡邉草太(株式会社techtecリサーチャー)

ドイツ・ベルリン在住。放送大学情報コース在籍。2018年頃からブロックチェーン業界にてライターおよびリサーチャーとして活動。2020年より株式会社techtecにジョイン。主な研究・執筆対象はパブリックブロックチェーンの分散型金融システム(DeFi)やフィンテック、分散型アイデンティティなど。Twitter:@souta_watatata