星暁雄のブロックチェーン界隈見て歩き

第9回

デジタル人民元、ブロックチェーン推進、仮想通貨熱が交錯する中国

(Image: Shutterstock.com)

最初にサマリーを挙げておこう。今回のコラムでは、次のような話をする。


    (1)デジタル通貨Libra構想の反響は、中国の中央銀行デジタル通貨(デジタル人民元)プロジェクトの知名度向上につながった
    (2)中国のブロックチェーン推進の動きと、中国人民銀行のデジタル通貨プロジェクトは、別の取り組みと考えた方がよさそうだ
    (3)デジタル通貨の知名度向上とブロックチェーン推進の副作用として仮想通貨熱が出てきた。それに水をかける動きもある

つまり「中国も一枚岩ではなさそうだ」という話をする。

Libra構想が、デジタル人民元プロジェクトの知名度向上に結びつく

2019年の仮想通貨界隈の最大の話題といえば、Facebookが発表した企業連合によるデジタル通貨Libraの構想である。では2番目は何かといえば、中国の中央銀行デジタル通貨(デジタル人民元、あるいはDCEP: digital currency electronic payment)ではないだろうか。

2019年6月、米FacebookがLibra構想を発表した。その後しばらくしてから、中国の中央銀行デジタル通貨(以下、デジタル人民元)に関するメディア報道が急増した。

もちろん、デジタル人民元はLibra構想に対抗して作られた訳ではない。だが、Libra構想の反響の大きさをデジタル人民元プロジェクトの知名度向上に結びつけようとした、あるいは意図せずとも結果として知名度向上に結びついたということは言えそうだ。

一方、Facebook側も「Libra構想を止めてしまえば、中国が先にデジタル通貨を実現する」という趣旨の発言をしており、相手の知名度を利用している点では「お互い様」である。今回の記事では知名度や関心の高さを利用することの是非は論じない。Libra構想の反響を知名度向上に結びつけようとするプロセスから何が読み取れるかを探っていく。

2014年から開発してきたデジタル人民元は、Libra発表の後に関心が急上昇

中国は2014年から中央銀行デジタル通貨のプロジェクトを進めてきたと伝えられている。またメディアで一時期頻繁に伝えられたDCEPあるいはDC/EPという名称(通貨名というよりプロジェクト名と考えられる)の初出もLibra構想よりも早い。

Twitterで得た情報によれば、2018年3月9日、第13期全国人民代表大会(全人代)第1回会議での“金融改革と発展”を主題とする記者会見で、中央人民銀行の初代総裁だった周小川(Zhou Xiaochuan)氏が言及したのが初出ということだ。周氏は中国人民銀行がデジタル通貨の研究を開始したときに同行の総裁だった。本当に初出といえるのかは確認できなかったが、少なくともDCEPという名称はLibra構想発表の以前から使われていたようだ。

一方、Libra構想が発表されたのは2019年6月。中国のデジタル通貨に関するメディア露出は8月頃から急増している。その1つのきっかけと考えられるのは、2019年8月に開催されたChina Finance 40 Forumで、中国人民銀行決済局次長(当時、9月以降は中国人民銀行デジタル通貨研究所所長に異動)の穆長春(Mu Changchun)氏が「中国ではデジタル人民元の開発を進めており、"間もなく"発行する」と発言したことだ(関連記事1関連記事2)。「ほとんど出来上がっている」と発言したとも伝えられている(関連記事)。Libra構想の発表後、メディアはデジタル通貨の話題に敏感になっていた。主要国の通貨当局の発言は慎重だったが、その中で中国の積極的な発言は異色だった。メディア側の関心の高まりもあって、中国のデジタル通貨への取り組みは広く伝えられることになった。

8月28日に仮想通貨交換所Binanceが公開したレポート“First Look: China's Central Bank Digital Currency”では、この中国のデジタル通貨について分析している。ここではデジタル人民元は市中銀行を通して発行される2段階式である、などと分析している。これは新しい話ではなく、中央銀行デジタル通貨を検討する議論の中で整理されてきた概念だ(関連記事1関連記事2)。紙幣や銀行預金と同じように、中央銀行デジタル通貨は市中銀行を通して一般大衆に流れていく設計になると考えられている。そうでないと市中銀行が「中抜き」されて経営に打撃を被るからだ。

習近平主席のブロックチェーン推進発言や「暗号法」はデジタル通貨に直接関係しない

興味深いことに、その後にデジタル人民元の盛り上がりを牽制する発言が出ている。「人民網」は、9月25日付けで中国人民銀行の総裁(行長)を務める易綱(Yi Gang)氏が「中国人民銀行は2014年にデジタル通貨の研究を始めたが、ローンチへ向けたタイムテーブルはない」と発言したことを伝えた(関連記事)。先の穆長春氏の「間もなく登場」「ほとんど完成」発言に水をかける形となっている。

10月24日に中国の習近平主席がブロックチェーン推進発言を行い、大きく報道された。中央政治局第18回集団学習という重要イベントで、習近平主席は「ブロックチェーンを適用すべき分野」として教育、雇用、年金、貧困の撲滅、医療、商品偽造の防止、食品の安全、公共福祉、社会支援の各分野を列挙した(関連記事)。いわゆる電子行政の分野でブロックチェーン技術を積極的に活用し、「人々の生活」の向上に結びつけようと、国家主席が自ら檄を飛ばした格好だ。ここで注意したいのは、記事を見る限り習近平主席自身は金融分野やデジタル通貨には言及していないということだ。

10月26日、中国で「暗号法」が成立した(関連記事1関連記事2)。その内容は、習近平主席のブロックチェーン推進発言と噛み合う。電子行政などへのブロックチェーン適用では暗号技術や認証技術を駆使することになるが、その扱いを定めている。一方、条文を見る限り、仮想通貨ビジネスや金融サービスに直接関係しそうな条項は含まれていないようだ。この暗号法は仮想通貨やデジタル通貨のための法律というより、習近平主席が指示した「ブロックチェーンの電子行政への活用」を主に想定した内容と考えられる。

習近平主席発言に便乗し“DCEP”を売り込むが、火消しの動きも

その直後、中国国際経済交流センター(CCIEE)副理事長の黄奇帆(Huang Qifan)氏が「Libraは成功しない。中国人民銀行はDCEPを5、6年研究しており、銀行デジタル通貨を導入した世界初の中央銀行になるかもしれない」と発言した(関連記事)。黄奇帆氏は重慶市の元市長であり、中国の大物政治家の一人と見なされている。

この発言の後、DCEPという単語がメディアで飛び交う。習近平主席のブロックチェーン推進発言からの連想で、国を挙げてデジタル通貨を推進しているかのように受けとめられた。Google Trendで調べると、10月28日に“DCEP”という単語の検索数のピークが観測できる。

この後、再び牽制する動きが出る。中国人民銀行は11月13日付けで「中国人民銀行は法定デジタル通貨(DC/EP)をまだ発行しておらず、どの資産交換プラットフォームも承認していない。発行時期は未定。市場で取引されている“DC/EP”や“DCEP”はニセモノだ。DCEPや中国人民銀行を騙る詐欺に注意」との警告文を出した。

11月10日、前出の穆長春氏は「ステーブルコインを扱うことは怪物を御することに似ている」と語り、「法律、監督管理、リスクコントロールなどの問題が解決するまではグローバルで使えるステーブルコインを発行すべきではない」との考えを示した。「良い動物を殺してはならないが、猛獣を放って人を傷つけてはならない」と、いかにも中国風の言い回しで現状のトレードオフを描写している(関連記事1関連記事2)。同じ穆長春氏は8月に「"間もなく"発行する」「ほとんど出来上がっている」と発言していたのだが、それがトーンダウンした形だ。

同じ頃、デジタル人民元プロジェクトの発足時に中国人民銀行の初代総裁を務めていた周小川氏は、「初期段階の研究が飛躍的に進むことはない。長い時間が必要だ。まだそれほど長い時間は経っていない」と発言している(関連記事1関連記事2)。どちらかといえば慎重な発言だ。

11月22日には、中国人民銀行の上海本部が文書を公開し、「上海での仮想通貨に関する特別プロジェクトを開始し、中国国内向けの仮想通貨交換所やICOなどを取り締まる。投資家は、ブロックチェーンと仮想通貨を混同しないよう注意」と呼びかけた。10月末の習近平主席のブロックチェーン推進発言と、黄奇帆氏のDCEPへの言及により、連想で仮想通貨への関心が過熱し、ニセDCEPのような詐欺的な事案も出てきた。そこに水をかけた形だ。

電子行政分野へのブロックチェーン技術の適用も、価格が安定した中央銀行デジタル通貨(デジタル人民元)も、投機の対象にはならない。しかし、民衆はこれらの情報から値動きが激しい仮想通貨を連想し、投機熱や詐欺のような動きが出てしまった。

この後、仮想通貨交換所Binanceの上海支部が当局の手入れを受けて閉鎖されたとのニュースを仮想通貨メディアThe Blockが報じた(関連記事)。Binance側は公式には「上海オフィスはない」と主張したが(関連記事)、最初に報道したThe Blockも長文記事で反論(関連記事)。「情報源は脅かされて沈黙してしまったが、状況証拠から見てBinanceには事実上の上海オフィスが存在した」と反論している。情報源が脅かされたことが本当なら、これは「語るに落ちている」事案といえるだろう。

12月10日、中国の経済メディア「財経」が、デジタル人民元のテストを間もなく開始すると報道した(関連記事)。情報源は匿名で、いわゆるリーク記事である。2019年内に、小規模なシナリオに基づく第1段階のテストを深センと蘇州を対象に実施し、2020年には第2段階に移行予定としている。中国の4大銀行(中国工業商業銀行、中国農業銀行、中国銀行、中国建設銀行)と3大携帯電話事業者(チャイナモバイル、チャイナユニコム、チャイナテレコム)が参加するとの情報である。

ここで疑問なのは、このような重要な情報がなぜ匿名の情報源から出ているのかということだ。あるいは、中国の中央銀行デジタル通貨の推進に関わってきた高官たちは現状では積極発言をしにくい状況にあるのかもしれない。

以上の経緯を見ると、デジタル人民元(あるいはDCEP)のプロジェクトへの積極的な発言と、一般大衆の仮想通貨熱を沈静化を図る慎重な発言の両方が浮かび上がってくる。積極派と慎重派の綱引きがどちらに傾くのかはまだ分からない。積極派の考えではデジタル人民元はもはや実用化直前の段階だが、慎重論も根強いということだろう。

今、目の前の情報には確実なことと、不確実なことが混じっている。中国が習近平主席の指示に従って電子行政などの分野でブロックチェーン活用を進めていくことは間違いない。そして、中国人民銀行がデジタル通貨(デジタル人民元、あるいはDCEP)のテストなど準備を本格化させていくことも既定路線だろう。ただし、中国の中央銀行デジタル通貨がいつ、どのような規模で登場するかは不確実だ。情報の発信源と内容をよく確認しながら、今後の動向を見ていきたい。

今回のコラム記事では「仮想通貨 Watch」上での浦上早苗氏による一連の中国事情報道から刺激を受けている。いくつかの記事を参照させていただいた。謝意を表したい。

星 暁雄

フリーランスITジャーナリスト。最近はブロックチェーン技術と暗号通貨/仮想通貨分野に物書きとして関心を持つ。書いてきた分野はUNIX、半導体、オブジェクト指向言語、Javaテクノロジー、エンタープライズシステム、Android、クラウドサービスなど。イノベーティブなテクノロジーの取材が好物。