星暁雄のブロックチェーン界隈見て歩き

第10回

ブロックチェーンは公共のものか──「アップデートされた公共性」を考える

(Image: Shutterstock.com)

暗号通貨には公共性があるか

今回のコラム記事では、「公共性」という切り口から暗号通貨とブロックチェーンについて考えてみたい。「暗号通貨とブロックチェーンに公共性があるのか」「そもそも、公共性とはなんなのか」という問いを立てることで、私たちは暗号通貨やブロックチェーンの性質をより深く理解できるはずだ。その理解を、より有用なブロックチェーンの使い方に結びつけることができるかもしれない。

そこで私は最近、「暗号通貨への意識」を問う簡単なアンケート調査を実施した。Twitter上の自分のアカウントで問いを投げたものなので、参加者の偏りはあるだろう。それでも問1に対しては846票と多数の回答が集まった。大勢の皆さんがこの問いに関心を示して頂いたということだと思う。

調査内容は「暗号通貨の公共性」に関するものだった。暗号通貨とは、公共的なものなのか、そうではないのか? 皆さんの意見を聞いた。

「Bitcoinは超国家的な通貨であり公共性を持つ」

「問1」では、Bitcoinの公共性について質問した。


    問1:Bitcoinをはじめとする暗号通貨は次のどちらの性格を持つでしょうか。

    回答
  • 超国家的な通貨であり、公共性を持つ        63.8%
  • 一部の人々のための私的な通貨であり、公共性はない 36.2%

選択肢として、正反対の考え方を2点示した。

Bitcoinの大きな特徴は「国家による支配を受けない」メカニズムを備えていることである。あらかじめ組み込まれたプログラムに従った一定量が発行される。発行量は決まっていて、増えも減りもしない。プログラムを呼び出す正当な手続きを踏めば誰でもマイニングに参加できるし、送金の指示を出すことができる。これを強制的に止める手段はない。このような性質を持つBitcoinには「公共性がある」と考える選択肢は63.8%と過半数以上の票を集めた。Bitcoinは公共性がある存在という認識は、少なくとも私のフォロワーやその周辺では広がっているということだろう。

一方で、「一部の人々のための私的な通貨であり、公共性はない」という選択肢も36.2%と3分の1を超える票を集めた。Bitcoinといえば、「一部の人々が手を出す資産クラスである」という認識は世の中ではまだ根強いといえる。

では私的な資産と公共性のある資産の違いは何だろうか。これについては、記事後半で考えてみることにしたい。

「スマートコントラクトは国家とは異なる契約執行を保証する機構で公共性がある」

「問2」では、スマートコントラクトの公共性について質問した。


    問2:Ethereumのようなブロックチェーン上で動くスマートコントラクトは、次のどちらの性格を持つでしょうか。

    回答
  • 国家とは異なる契約執行を保証する機構で公共性がある 78%
  • 一部の人々の利害だけに関わる機構であり公共性はない 22%

読者の方はご存知のように、スマートコントラクトとは改ざんできないプログラムであり、ブロックチェーン上での資産移動に関する強制執行力を持つ。つまり契約とその執行をプログラミングできると考えられている。Ethereumの大きな特徴は、Bitcoinが備えていた特徴に加えて、スマートコントラクトのためのプラットフォームとして作られたことだ。Ethereumより新しい世代のブロックチェーン技術は、ほぼスマートコントラクトの機能を搭載している。

通貨としてのBitcoinの公共性に関する問1に比べると、スマートコントラクトの公共性に関する問2では、「スマートコントラクトに公共性がある」とする意見の割合がより多かった。

ここから言えることとして、スマートコントラクトに対して「公共性」を見いだしている人の割合は、通貨としてのBitcoinに公共性を見いだしている人の割合よりも多い。パブリックブロックチェーン上のスマートコントラクトは、利用料(Ethereumの場合「Gas“ガソリン代”」と呼ぶ)を支払えば誰でも利用できる。またクラウドサービスのように特定の運営企業に依存していない。このような性質に対して「公共性がある」と考える人の割合は多かったということだろう。

「公共性は、誰に対しても開かれている性質」

問3では、公共性という言葉への意識を聞いた。


    問3 問1、問2の設問に出てきた「公共性」に関して、どちらの考え方が自分に近いと思いますか。

    回答
  • 公共性は、地域社会や国家と結びつく性質 13.7%
  • 公共性は、誰に対しても開かれている性質 86.3%

問1と問2の設問では「公共性」という言葉を使ったが、実は「公共性」という言葉に対する考え方は全員が同じとは限らない。過去に様々な公共性に対する考え方が登場しており、いわば「公共性」の概念は時代によってアップデートを繰り返してきた。問3では、この言葉に対する考え方を聞いた。

問3の設問は、「地域社会や国家と結びつく」公共性と、「誰に対しても開かれている」公共性を天秤にかける設問だった。回答者は後者が86.3%と圧倒的に多い。暗号通貨やブロックチェーンという分野の設問だと考えるなら、これは自然なことだろう。地域社会や国家とは独立していて、一方で誰にでも利用可能なように「開かれている」存在がパブリックブロックチェーンであり暗号通貨であるといえる。

一方で、公共性とは「地域社会や国家」に結びつく性質であるという考え方に近い13.7%の人々は、「非国家の通貨」、つまり国の支配を受けないBitcoinは公共性とは遠いものだと考えるだろう。

私のTwitterフォロワーは、もちろん人類の代表ではない。私のTwitterアカウントでは2016年始め頃から仮想通貨やブロックチェーンに関連する書き込みが増え、フォロワーの皆さんもこの分野に関心を持つ人々の割合が多いと考えられる。ちなみに、2015年までのフォロワーの皆さんは、ソフトウェア開発やモバイルデバイスに関心を持つ人々の割合が多かった。全体にTech好きな人が多いというバイアスはあるだろう。その中でも多くの方々が「誰にでも開かれている性質」を公共性にとって重要とみなし、そしてBitcoinやEthereumのスマートコントラクトに対して公共性を見いだしている。

「公共性」の構成要素は、単一ではない

今回の調査結果が示すものを考えてみたい。

私たちは「公共」という概念をアップデートしなければならないのではないか──これは、私の意見ではない。社会学者の橋爪大三郎氏が2000年に発表した論文「公共性とは何か」(社会学評論、50 巻 4 号)で提示する問題意識である。同論文は論文検索のWebサイトJ-STAGEで閲覧できる。また書籍「言語/性/権力-橋爪大三郎社会学論集-」(春秋社、2004年刊)に収録されている。以下、「橋爪論文」と呼ぶ。

橋爪論文はそう長いものではないので、興味をもった読者はぜひ目を通してみて欲しい。ここでは、論文の中から大事な論点を2つ紹介したい。

1番目の論点は「公共性の装置」という考え方だ。税、王(権力)、法、宗教、市場、言論──これらはいずれも「公共性の装置」だ。様々な「公共性の装置」が組み合わさって私たちの社会を形成している。公共性とは1つの権威、1つの性質、1つの機能で語られる性格のものではない訳だ。

このような「公共性の装置」の中で、税や権力や法は国家の管理下にある。一方、市場や言論は国家と独立していることに価値があることに注意したい。私たちの歴史では、市場を国家がコントロールする計画経済の実験は失敗したと考えられている。また、国家と独立した言論機関は民主主義にとって欠かせない要素だと考えられている。マスメディアの信頼性が揺らいでいることが問題視される理由は、それが「公共性の装置」の1つだからだ。

ここで思い出していただきたいことがある。新自由主義の政権(サッチャー政権以後のイギリス、中曽根政権以降の日本)の重要なキーワードが「民営化」だった。例えば日本では公共性が高い交通や通信の業務を、JRグループやNTTグループのように民間企業として切り出した。橋爪論文ではさらに論を進め、公的機関を民間企業で置き換えられるのなら、民間企業が公的機関の役割を果たすことも可能なはずだと指摘する。

政府機関や公共性が高い企業、団体に務める人々は、自分達の仕事には高い公共性があるという意識をもって仕事に取り組んでいることだろう。そのような心情は尊重したい。それとは別に、社会のあり方をゼロベースで議論する場合は「公権力=公共」であり「公共の政府機関は私企業(民間企業)に優越する存在である」との先入観から解放された状態で思考してみた方がよい──これが橋爪論文の立場だ。

公共性の概念をアップデートする

橋爪論文で取りあげたい2番目の論点は、「公共性」という慣れ親しんだ言葉の背後に、私たちの社会が先史時代から積み上げてきた長い記憶、習慣、試みがあるということだ。先史時代から、人々は私的な領域(家族)から、公的な領域(部族)までの段階的な公共性を意識して区別していた。古代ギリシャの社会では私的な領域を「オイコス」、公的な領域を「ポリス」と呼び区別した。

論文からは離れるが、「公と私」の概念は私たちの無意識に染みついている。日本の会社員が上司の「鈴木さん」を社外で紹介するときは「うちの鈴木」と言い、社内では「鈴木さん」と敬語を使ったとしよう。こうした言葉使いを自然に使える会社員は、「公と私」を区別する概念がほぼ無意識に染みこんでいる。

橋爪論文は以下のように指摘する。日本の人々は「近代国家は市民社会のうえに経つ公共的な存在であるという考え方」をしがちであり、「公法、私法を重大な区分と見なす発想」をする。このような考え方、発想はヘーゲル哲学の影響下にある。「国家がなければ市民社会は完全でない」という考え方は、ドイツや日本のように遅れて近代化した国にとって都合が良い考え方であった。

橋爪論文では、公共性の概念は「ある問題領域が、不特定の人びとに開かれているところに成り立つ」と述べる。そして「市民社会は本来、契約の自由を核とする公共性を実質とする」という考え方を提示する。個人の自由、財産権や契約の自由を核として「公共性」という概念を構築しようとする。

ここで提示される公共性の考え方は、次のようになる。市民社会における公共性の原型は、自由な市民が、契約に伴うコスト(市民社会が抱える紛争などの矛盾解決のコスト)を税のかたちで負担することである。ここで徴税の機能および紛争解決の手段(暴力)を管理する主体が国家ということになる。これは、リバタリアニズム(自由至上主義)の考える「最小国家」の考え方と通じる部分があるだろう。

橋爪論文ではさらに議論を進め、地球温暖化対策のため二酸化炭素排出を削減するための「炭素税」の導入を全地球的に推進するには、国を越えた人類規模の「公共性の装置」が必要だと指摘する。論文には明示されていないものの、論文の発表年代を考えると、これは1997年に採択された「京都議定書」が求める二酸化炭素排出削減を実現するには、それぞれの国の利害を越えた公共性を発揮するなんらかの「装置」が必要になる──国を超えた公共性の装置という考え方の背後には、そのような思考がある。

この論文から20年後の現在、地球温暖化対策を各国に求める「パリ協定」に対して、トランプ大統領は米国を離脱させる方針を打ち出している。国家レベルの“私的”な利害が、地球レベルの公共性と対立している状況といえる。国家は常に公共性を代表する存在とはいえない。

こうした世界にあっては、非国家=超国家的な「公共性の装置」としてのパブリックブロックチェーンと暗号通貨には果たすべき役割があるのではないか。私はそのような予感を抱いている。

「公共性の装置」としてのブロックチェーンと暗号通貨

このような、国の利害を越えた新しい種類の公共性について、実はコンピュータ分野やソフトウェア分野のエンジニアはかなり以前から親しんでいた。1つはインターネット。もう1つはフリー・ソフトウェア/オープンソース・ソフトウェアだ。インターネットに取り組む人々は、これは1つの国の都合を越えた存在だと認識しているはずだ。

ここで、暗号通貨とブロックチェーンの公共性に関する意識調査の結果の話に戻ろう。

問1でBitcoinを「私的な通貨」と見る考え方は、3割以上の回答数を集めた。その前提は、Bitcoinが法定通貨ではないということだろう。もっとも、法定通貨や中央銀行のシステムの歴史は比較的新しい。

歴史を遡ってみよう。日本の平安時代末期、平清盛が宋銭を輸入して流通させたことは有名だ。しかし、このとき宋銭の発行元の北宋はすでに滅亡していた。つまり宋銭は発行主体が存在しない通貨だった。また日本国内では宋銭の流通は違法であるとの意見もあった。以上の話は、2020年1月22日に開催されたイベント「BCCC Collaborative Day」での国立情報学研究所:岡田仁志氏による基調講演で指摘されていた論点である。宋銭を、平清盛が強引に流通させた私的な通貨と見るか、国家プロジェクトとして流通させた公共的な通貨と見るか。この問いは、おそらく国家とは独立して発行される暗号通貨をどのように見るか、という問いと相似形なのではないだろうか。

今回の調査ではスマートコントラクトへの公共性に異議を唱える意見は少なかった。ただし、スマートコントラクトの可能性はまだ解明し尽くされていない。スマートコントラクトのユースケース(応用)として話題が増えているのはDeFi(分散型金融サービス)だが、このようなサービスも進化の途中段階で完成形とはいえないだろう。

2019年12月になって、スマートコントラクトを、地方政府や中央政府の予算配分と執行に使えるのではないかという提案が出てきた(Proof of Excellenceとしての契約民主主義)。議論はまだ始まったばかりの段階だが、例えばGDK(Government Developer Kit=政府開発キット)という目新しい用語が飛び出したりしている。政府の予算配分の決定および執行がブロックチェーン上のスマートコントラクトに載れば、それは誰の目から見ても公共性がある応用になるだろう。

ブロックチェーンと暗号通貨を「公共性の装置」と考える人々はいる。一方、公共性を認めない人もまだまだ多い。だが、今までの議論で見てきたように、私的か公的かという区別はすでに古びている。市民社会の公共性にとって最も重要なものが「個人の自由な契約を守る」ことであると考えるなら、ブロックチェーンと暗号通貨は市民社会にとって重要な役割を果たす「公共性の装置」として機能する可能性を秘めている存在といえるだろう。

星 暁雄

フリーランスITジャーナリスト。最近はブロックチェーン技術と暗号通貨/仮想通貨分野に物書きとして関心を持つ。書いてきた分野はUNIX、半導体、オブジェクト指向言語、Javaテクノロジー、エンタープライズシステム、Android、クラウドサービスなど。イノベーティブなテクノロジーの取材が好物。